プエルト・リコ(読み)ぷえるとりこ(英語表記)Puerto Rico

翻訳|Puerto Rico

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プエルト・リコ」の意味・わかりやすい解説

プエルト・リコ
ぷえるとりこ
Puerto Rico

西インド諸島、大アンティル諸島東端にあるアメリカの自治領。アメリカのフロリダ州マイアミの南東約1600キロメートルに位置し、プエルト・リコ島のほかモナ島Mona、ビエケス島Vieques、クレブラ諸島Culebraからなる。西はモナ海峡を隔ててドミニカ共和国、東はバージン海峡でバージン諸島に接し、北は大西洋、南はカリブ海に面する。面積8868平方キロメートル(2020)、人口380万8610(2000)、328万5874(2020センサス)。首都はサン・フアン。プエルト・リコとは「豊かな港」の意味である。

[菅野峰明]

自然

プエルト・リコ島は東西160キロメートル、南北60キロメートルで、その約75%は山地と丘陵地である。島を東西に走る中央山脈は、イスパニョーラ島の中央山脈の延長部分とみなされ複雑な地形を示す。最高峰は中央部のプンタ山(1338メートル)。島の北東部には石灰岩からなる丘陵性の山地があり、北部には幅の狭い沿岸平野が広がる。

 気候は熱帯海洋性を示し、一般に温和である。首都サン・フアンの平均気温は1月24℃、7月27℃で、年較差はわずか3℃にすぎない。年降水量は地域によって異なり、北東風を受ける北部では1500ミリメートル、風下にあたる南西部では400ミリメートル程度で、雨は5月から11月にかけて多い。雨量の多い東部の山地では熱帯雨林となっている所もある。しかし、標高800メートル以上の高地と、雨量の少ない中央山脈南斜面ではサバナの植生がみられる。

[菅野峰明]

歴史

1493年にコロンブスによって「発見」され、1508年、ポンセ・デ・レオンが植民地を建設しスペイン領となった。先住民のアラワク人はスペイン人のもたらした疫病やサトウキビ・プランテーションでの重労働によってほとんど絶滅し、それにかわる労働力として、1513年にアフリカから黒人奴隷が導入された。スペイン植民地の時代は、サトウキビとコーヒー栽培が経済の基盤であった。1898年のアメリカ・スペイン戦争の結果アメリカ領となり、1917年にはアメリカの準州となり、住民もアメリカの市民権を獲得した。1946年には一部の自治権が認められ、知事の公選も行われるようになった。1952年に自治憲法を制定し、アメリカの自治領(自由連合州)となった。その後、プエルト・リコ独立運動やアメリカの州への昇格運動があったが、現在でも自治領のままである。プエルト・リコ島の東に位置するビエケス島は、第二次世界大戦中の1941年よりアメリカ海軍の演習場として使われだした。その後も島の半分以上が演習場、弾薬庫として使われていたが、演習による環境破壊や劣化ウラン砲弾使用の疑いなどの問題が指摘されていた。1999年アメリカ軍の誤爆によって住民が死亡したことにより閉鎖を求める動きが活発化し、2003年5月アメリカ軍はビエケス島より撤退した。

[菅野峰明]

政治・経済

完全な内政自治権をもつが、外交と防衛に対してはアメリカが責任をもつ。立法府上院と下院の二院からなり、上院は27名、下院は51名の議員から構成される。行政を担当する知事は公選制で、任期は4年である。住民はアメリカの市民権をもつが、アメリカ大統領やアメリカ議会の議員を選出することはできず、下院に各種委員会と本会議で発言権をもつ代表を送っている。政党は、現状維持を主張する民主人民党(PPD)と、アメリカの州への昇格を主張する新進歩党(PNP)が二大政党で、ほかに民主社会主義を目ざして独立を主張するプエルト・リコ独立党(PIP)と革新のプエルト・リコ社会党がある。

 1940年まで植民地支配の影響を強く受け、砂糖生産が重要な経済活動であった。良質の農地はアメリカ系の会社やプエルト・リコの地主の所有地であり、島民の大部分は分益小作人や小農民であった。しかし、1941年に農地改革が実施され、大土地所有は制限された。経済の中心はサトウキビの単一栽培から、アメリカの資金援助による工業や観光業に移り、政治・社会改革も進み、カリブ海諸島のなかではもっとも経済の発展した島となった。ほかの産業の雇用や高賃金によって農業従事者は急激に減少している。サトウキビ、コーヒー、タバコ、パイナップルなどが主要作物で、ウシの飼育と野菜の栽培が重要になりつつある。経済発展はおもに工業化によるもので、1950年代に進出企業に対する税制上の特別措置によってアメリカ本土からの工場を誘致した。以前から存在していた労働集約的軽工業に加えて、石油化学、電気機器、機械工業などが増加したが、工場はいずれも港湾施設の整備されたサン・フアン、マヤグエス、ポンス(ポンセ)などの都市に集中している。観光も経済の重要な部門で、1997年には観光客が333万2000人に達した。就業人口の約11%は観光業と関係している。国内総生産は455億0480万ドル(1996)、1人当り1万2212ドルである。貿易は輸出239億4680万ドル、輸入213億8740万ドル(1997)で、貿易相手は大半がアメリカである。

[菅野峰明]

社会・文化

住民は過去の歴史を反映して、さまざまな人種、民族の混血であるが、スペイン系白人と黒人、その混血に大別することができる。アメリカ領になってからアメリカ本土への人口流出が続いたが、1974年以来人口流入が続いている。公用語はスペイン語であるが、英語も話される。義務教育は初等教育が6年、中等教育は前・後期に分かれ、それぞれ3年である。住民の約80%はカトリックで、プロテスタントは15%である。

[菅野峰明]

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百科事典マイペディア 「プエルト・リコ」の意味・わかりやすい解説

プエルト・リコ

西インド諸島のイスパニオラ島東方の島。米国の自由連合州。全体に低い丘陵性の山地からなり,最高点は標高1338m。海岸の平地は狭い。熱帯圏にあるが貿易風の影響で,比較的しのぎやすい気候。住民の約80%はスペイン系などの白人で,カトリック教徒が多い。人口密度が高く米本土への移住民が多い。スペイン語,英語が用いられる。サトウキビ,コーヒー,タバコを主産,セメント,製紙,肥料などの工業もある。1493年コロンブスが到達し,1508年スペイン領となった。1898年米西戦争でスペインが敗れ,アメリカの支配下に移った。1917年準州に昇格し,島民に米国の市民権が認められた。第2次大戦後独立運動が激しくなり,1952年自由連合州として内政自治が認められた。近年の政治情勢は,州への昇格を目ざす勢力と現状維持を主張する勢力とがほぼ拮抗し,独立派の勢力は弱くなっている。主都サン・フアン。8868km2。約373万人(2010)。
→関連項目カリブ海政策サン・フアンポンセモナ海峡

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