日本大百科全書(ニッポニカ) 「プラハ条約」の意味・わかりやすい解説
プラハ条約
ぷらはじょうやく
1866年8月23日にチェコスロバキアのプラハPrahaで成立したプロイセン・オーストリア戦争の講和条約。7月26日に両国間で締結されたニコルスブルクの予備講和の諸条項を基本的に追認したもので、(1)ドイツ連邦の解体、(2)プロイセンによる北ドイツ統一へのオーストリアの不介入を決めたほか、(3)オーストリアはベネチアをイタリアに割譲し、シュレスウィヒ・ホルシュタインに対する権利を失い、償金4000万ターレルを支払う、などをおもな内容とする。条約締結にあたり、プロイセンのビスマルクは軍部などの意見を抑えてオーストリアに寛大な処置をとったが、これは、彼がヨーロッパ列強の介入を憂慮し、将来のオーストリアとの友好を保持することを希望したからであった。
[末川 清]