中央アジアを探検した帝政ロシアの将校。1867~69年のウスリー川探検を手始めに、70~85年の間に4回にわたって、モンゴル、チベット、東トルキスタンを探検旅行し、88年、5回目の探検準備中にイシク・クリ湖畔で死亡した。当時まだ世界地図のうえで空白であったアジア内奥部は、彼の探検によってその多くが埋められた。また同時に多数の動植物標本を採集して新種を発表した。なかでも彼がジュンガリアで発見した野生のモウコノウマは、プルジェバリスキーウマ(プシバルスキーウマ)の名で知られている。彼の探検は後進のコズロフやスウェン・ヘディンに大きな影響を与えた。一方、イギリスは、彼が執拗(しつよう)にラサを目ざしたことに神経をとがらせ、対抗上ヤングハズバンドをチベットに派遣している。主著に『ウスリー紀行』『ロブノール紀行』『キャフタから黄河源流へ』などがある。
[林 俊雄]
『加藤九祚他訳『黄河源流からロブ湖へ』(1967・白水社)』
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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