世界大百科事典(旧版)内のプロレットカルトの言及
【土田杏村】より
…卒業後ひきつづき大学院に進学,在学中に雑誌《文化》を創刊し,社会,教育,文学,芸術などの多方面にわたる評論活動を展開した。その立場は自由主義的であったが,ヨーロッパの社会主義的文化運動である〈プロレットカルトproletcult論〉の紹介にもつとめた。1921年には長野県上田を中心とする農村青年の自己形成運動である〈自由大学〉創設に協力し,学問の地方分権化,労働と教育との結合をめざした。…
※「プロレットカルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」