ヘルメス・トリスメギストス
Hermēs Trismegistos
ギリシア語の神名で,〈3倍(すなわち,はなはだ)偉大なヘルメス〉の意。ヘレニズム時代によくある混交宗教型の神で,ギリシア神話のヘルメスとエジプト古来のトートとが,エジプトのヘレニズム的環境の中で習合し生まれた。したがって本来の名はヘルメス・トートというが,その通称としてこう呼ばれた。またポイマンドレスPoimandrēsはその別称,メルクリウスMercuriusはラテン名である。ヘルメス,トートと同様にこの神も学芸をつかさどる。そこから,ヘルメス・トリスメギストスの名を掲げる学問・芸術・技術の諸成果が現れ,古代からルネサンスのヨーロッパおよびイスラム圏にわたっている。その発端をなすものがヘルメス文書(前3~後3世紀)である。これはエジプトで執筆された。この文書と神名がヨーロッパ文化史上に果たした役割は,特筆に値する。文化形成の触媒となった神名はほかにもあろうが,この神の特徴は古代においてすでにキリスト教と親密であったことである。すなわち教父たちは,この神をモーセと同等の預言者とみなしたり,ヘルメス文書を援用したりしている。こうしたヘルメス主義の伝統は中世をも貫き,たとえばルルスほかの神秘思想家がこの神を守護神としていたことにその反映が見られる。ルネサンス期になると,魔術・宇宙論の側面でヘルメス主義がもてはやされた。ニコラウス・クサヌス,ピコ・デラ・ミランドラ,フィチーノ,ブルーノ,コペルニクスらの名が挙げられる。これは,ヘルメスの教えが,概して太陽中心の一神教であったことと深く関連している。
執筆者:柴田 有
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のヘルメストリスメギストスの言及
【エメラルド碑板】より
…別称《タブラ・スマラグディナTabula smaragdina》。作者は[ヘルメス・トリスメギストス]とも,ヒラム王とも信じられているが,また一説には12世紀ころのものとも言う。宇宙と自然と人間の三世界には〈三位一体〉の原理が貫いており,それが〈上のごとく,下もしかり〉という,万物照応の根拠になっていると説く。…
【ヘルメス】より
…ヘルメスはたぶん,豊穣多産を祈って畑や牧場の境や路傍に立てられた[ヘルマイ]と称する石柱(上部が男の頭,その下の角柱の中央部に起立した陽物がついたもので,〈ヘルメス柱〉とも呼ばれる)に由来する神であったらしく,豊穣神から富と幸運の神に発展した彼は,商業,盗み,雄弁,競技などの守護神となる一方,ヘルマイが道標の役割をも果たしていたところから,道路,旅人の守護神ともなり,人間に最も親しい神のひとりとしてあがめられたものと考えられる。なお,錬金術の始祖などとして知られる[ヘルメス・トリスメギストス]は,ヘルメスとエジプトのトートが習合して成立した神格である。 美術作品では,ヘルマイを別にすれば,古くは髯(ひげ)をはやし,衣をまとった男,ときには羊を肩に背負った牧人で表現されたが,前5世紀以降は,翼のついた鍔の広い帽子ペタソスpetasosをかぶり,手にはケリュケイオンkērykeion([カドゥケウス])と呼ばれる杖を持ち,足にも有翼のサンダルをはいた裸身の美青年で表現されることが多い。…
【ヘルメス思想】より
…[ヘルメス・トリスメギストス]と呼ばれるヘルメスとトートの習合神の教えと信じられた西洋の思想的伝統で,紀元前後ころ多分エジプトで成立したと考えられる。秘教として受け継がれ,ヨーロッパおよびイスラム圏で[占星術]および[錬金術]の哲学として研究され,後者ではシーア派イスラム神学と結びついて展開した。…
【ヘルメス文書】より
…前3~後3世紀ごろ,エジプトのナイル沿岸都市で執筆された匿名の文書群で,ヘルメスの名を掲げている。ヘルメス文書の作品とみなすか否かは,内容上の基準で決めるより,導師[ヘルメス・トリスメギストス]が弟子に教えを伝授する形式によっているかどうかで判断されてきた(ただし例外もある)。古代のヘルメス文書は膨大な量に上ったらしく,20世紀中葉,上エジプトで発見されたナグ・ハマディ文書([ナグ・ハマディ])の一部もヘルメス文書である。…
【錬金術】より
…両神の習合がヘレニズム時代に進み,アレクサンドリアを中心に,ヘルメスという名を冠する者たちがあらわれて〈ヘルメス=トートの術〉を伝授した。現存する〈ヘルメス文書〉(3世紀)に出てくる[ヘルメス・トリスメギストス](〈3倍も最も偉大なるヘルメス〉の意。ロゼッタ・ストーンには単に〈偉大なる〉が2回くり返されているのみ)がこの術の始祖とされ,やがて3世紀ころには最高の知恵の所有者として崇拝されるようになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」