ヘンリー6世(読み)ヘンリーろくせい(英語表記)Henry VI

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘンリー6世」の意味・わかりやすい解説

ヘンリー6世
ヘンリーろくせい
Henry VI

[生]1421.12.6. バークシャー,ウィンザー
[没]1471.5.21. ロンドン
イギリスランカスター朝最後のイングランド王 (在位 1422~61,70~71) 。ヘンリー5世の子,母はフランス王シャルル6世の娘。 1422年8月生後8ヵ月で即位。同年 10月フランス王シャルル6世が死ぬとトロア条約に従い名目的ではあるがフランス王を兼ねた。成年に達するまでに,神経症におかされていたため,対フランス百年戦争にも,イングランドの内政にも,他の重臣があたった。そのため治世中国内の紛争が絶えなかった。 29年イングランド王として戴冠ジャンヌ・ダルクの出現で退勢を挽回したフランス側がシャルル7世 (6世の子) の戴冠式をランスで行うと,31年ヘンリーもフランス王としてパリで戴冠式を行なった。しかし一時フランスで広大な地域を占めたイングランド領も,53年カレーと周辺のギーヌ伯領を残してその領土をすべて失い,百年戦争は終結。 55年バラ戦争勃発。 61年ヨーク公の子エドワードにより王位を奪われた。のち一時復位したが,ロンドン塔に幽閉され,71年塔内で殺害された。

ヘンリー6世
ヘンリーろくせい
Henry VI

イギリスの劇作家シェークスピア史劇。3部。 1590~92年頃執筆。3部はそれぞれ独立した戯曲をなし,正確な執筆順序や年代は不詳のうえ,全編シェークスピアの作か否かも疑問とされる。主としてホリンシェッドの『年代記』 (第2版,1587) に材を取り,幼いヘンリー6世の即位 (1422) からエドワード4世の即位 (71) までの動乱時代のイギリスを,ヨーク家ランカスター家王位継承をめぐるバラ戦争を中心に描いた叙事詩的戯曲。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヘンリー6世」の意味・わかりやすい解説

ヘンリー[6世]
Henry Ⅵ
生没年:1421-71

ランカスター朝第3代のイングランド王。在位1422-61,70-71年。ヘンリー5世の長子。母方祖父であるフランス王シャルル6世没(1422)後,フランス王をも称する。幼時に即位したため父方の叔父ベドフォード公を摂政とし,父の事業を継いだが,公の死(1435)後,対仏政策の行詰り,諸侯の党争,財政破綻により王権が失墜した。母方祖父の精神病をうけつぎ発病(1453)。1455年,ヨーク公リチャードとの対立からばら戦争が始まり,61年リチャードの子エドワードによって王位を追われる。一時王位に復するが,71年エドワード4世により廃位,殺害された。
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367日誕生日大事典 「ヘンリー6世」の解説

ヘンリー6世

生年月日:1421年12月6日
イングランド王(在位1422〜61,70〜71)
1471年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヘンリー6世の言及

【ばら戦争】より

…しかし,ばら戦争の結果,貴族層は深刻な打撃を被り,歴史上イギリスの中世は終りを告げ,チューダー朝の絶対主義時代に移行した。
[発端と経過]
 ランカスター朝3代目のヘンリー6世の治世に,ヨーク公リチャードはランカスター家以上にヨーク家の王位継承権が正当であると主張して決起,戦争は1455年セント・オールバンズの戦で始まった。これ以後,封建家臣団を擁して戦闘の機会をうかがっていた貴族がしだいにランカスター,ヨークの両派に系列化されて,断続的に戦闘が繰り広げられた。…

※「ヘンリー6世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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