ベラウンデ・テリー(読み)ベラウンデテリー

百科事典マイペディア 「ベラウンデ・テリー」の意味・わかりやすい解説

ベラウンデ・テリー

ペルーの政治家。南部のアレキパに基盤をもつ知識人の家庭に生まれる。1944年国民民主戦線の結成に参加し,下院議員に選出された。1956年人民行動党(AP)を結成して党首となり,〈ペルー人によるペルーの征服〉をスローガンに同年の大統領選に出馬するが,当選は果たせなかった。1963年の大統領選ではキリスト教民主党PDC)の支持も得て当選,農地改革と民族主義的諸改革を図ったが,中産階級を基盤とするアプラAPRA)党と,大地主の利益を代表する国民連合(UNO)の反対にあって挫折,1968年10月,J.ベラスコ将軍のクーデタによって国外追放された。軍の支配下で農地改革や経済の基幹部門の国有化などが図られたが(ペルー革命),国民的な統合の遅れから軍政も行き詰まり,1980年の民政移管にともなう大統領選挙でベラウンデ・テリーが再び返り咲いた。しかし革新的であった軍政の成果を覆すことが多く,左翼勢力から批判を浴びて,1985年にはアプラ党のアラン・ガルシアにとって代わられた。

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