世界大百科事典(旧版)内のベリーニ,Giovanniの言及
【ベネチア派】より
…フィレンツェにおいては建築,彫刻,絵画が相互に有機的な関連をもって発展し,むしろ前二者が絵画を主導したのに対し,ルネサンス期ベネチアの美術の最も重要な特徴は,わずかな例外(建築のコドゥッチM.Coducciや彫刻のリッツォA.Rizzo等)を除いて,もっぱら絵画の分野において独自の発展と豊饒な歴史的成果の達成が見られたことであろう。ベネチア派はしたがって絵画的流派であり,またその代表的な芸術家(ジョバンニ・ベリーニからジョルジョーネ,ティツィアーノ,ティントレット,ベロネーゼまで)もフィレンツェ派の知的理論的で多能な天才たち(アルベルティからレオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロまで)とはまったく異なり,もっぱら感覚本位の専業画家であった。 ベネチア派の〈絵画的〉特性はさらに絵画自体の特質をも規定している。…
【ベリーニ一族】より
…ベネチアの画家一族。父子2代にわたってルネサンス期ベネチア派の形成に指導的な役割を演じた。(1)ヤコポJacopo Bellini(1400ころ‐70か71)はジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの弟子で,師の後期ゴシック様式の影響を強く受けて画風を形成する。36年ベローナ大聖堂に《キリストの磔刑》(消失)を制作。51年フェラーラで君主リオネロ・デステの肖像画コンクールでピサネロを破る。記録に残る主要作品の多くは消滅し,何点かの小型の聖母子画が残るだけであるが,その欠落は,美術史的に貴重な2冊の大型の〈素描帖〉(ルーブル美術館,大英博物館)が補っている。…
※「ベリーニ,Giovanni」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」