世界大百科事典(旧版)内のベルリン条約(1885)の言及
【ベルリン会議】より
…そこでビスマルクの提唱により,アフリカ分割の原則を定めるとともに,既得の権益を相互に調整したうえでこれを国際的に承認することを目的として,ベルリン会議が開催された。参加国はアフリカ分割競争に加わっていたイギリス,フランス,ドイツ,ベルギー,ポルトガル,スペイン,イタリアのほか,オーストリア,デンマーク,アメリカ,オランダ,スウェーデン,ロシア,オスマン帝国など合計14ヵ国にのぼり,全7章,38条からなるベルリン条約を締結して会議はその幕を閉じた。 同条約の主要部分は,コンゴ盆地の自由貿易(第1章)と中立化(第3章),コンゴ川の航行の自由(第4章)などを取り決めたいわゆるコンゴ盆地条約と,奴隷貿易の禁止に関する宣言(第2章),ニジェール川の航行の自由に関する協定(第5章),アフリカ大陸沿岸部での新規の領土併合に関するルール取決め(第6章)などからなっていた。…
※「ベルリン条約(1885)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」