ペドロ アルモドバル(英語表記)Pedro Almodóvar

現代外国人名録2016 「ペドロ アルモドバル」の解説

ペドロ アルモドバル
Pedro Almodóvar

職業・肩書
映画監督,脚本家

国籍
スペイン

生年月日
1949年9月24日

出生地
ラ・マンチャ地方カルサダ・デ・カラトラバ村

本名
Almodóvar Caballero,Pedro

勲章褒章
レジオン・ド・ヌール勲章〔1997年〕

受賞
アカデミー賞オリジナル脚本賞(第75回,2002年度)〔2003年〕「トーク・トゥ・ハー」,ベネチア国際映画祭脚本賞(第45回)〔1988年〕「神経衰弱ぎりぎりの女たち」,カンヌ国際映画祭監督賞(第52回)〔1999年〕「オール・アバウト・マイ・マザー」,セザール賞外国映画賞〔2000年〕「オール・アバウト・マイ・マザー」,アカデミー賞外国語映画賞(第72回)〔2000年〕「オール・アバウト・マイ・マザー」,カンヌ国際映画祭脚本賞(第59回)〔2006年〕「ボルベール〈帰郷〉」,ゴヤ賞(作品賞・監督賞)〔2007年〕「ボルベール〈帰郷〉」

経歴
16歳でマドリードに出て10年間国営電報電話局に勤務。1960年代後半から’70年代にかけて、漫画の原作やアングラ雑誌の記事を書いたあと映画のエキストラとなり、演劇集団“Los Goliardos(不良たち)”に参加する。’74年から短編映画を撮り始め、’80年に商業映画の監督としてデビュー。3作目の「バチ当たり修道院の最期」(’83年)から世界的注目を集め、7作目の「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(’88年)は全世界で大ヒット、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。’86年弟と製作会社エル・デセオを設立。’99年「オール・アバウト・マイ・マザー」(’98年)でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞、2000年同作品でセザール賞外国映画賞、アカデミー賞外国語映画賞を受賞。2006年には監督・脚本した「ボルベール〈帰郷〉」でカンヌ国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。他の作品に三島由紀夫の影響を受けた「マタドール」(1986年)、「欲望法則」(’87年)、「アタメ!」(’90年)、「私の秘密の花」(’95年)、「ライブ・フレッシュ」(’97年)、「トーク・トゥ・ハー」(2002年)、「バッド・エデュケーション」(2004年)、「抱擁のかけら」(2009年)、「私が、生きる肌」(2011年)、「アイム・ソー・エキサイテッド!」(2013年)など。1992年カンヌ国際映画祭審査員を務める。’80年代以後のスペインを代表する監督の一人

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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