ペン・セントラル鉄道(読み)ぺんせんとらるてつどう(英語表記)Penn Central Railroad

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペン・セントラル鉄道」の意味・わかりやすい解説

ペン・セントラル鉄道
ぺんせんとらるてつどう
Penn Central Railroad

アメリカ東部地方を地盤とした鉄道会社。1968年にアメリカ北東部の鉄道トップ企業のペンシルベニア鉄道Pennsylvania Railroadとニューヨークセントラル鉄道New York Central Railroadが合併して誕生したが、1970年に倒産した。ペン・セントラルの倒産はアメリカ鉄道発展史における悲劇として知られる。

[奥村皓一]

北東部二大鉄道の成立

1846年に設立されたペンシルベニア鉄道は、フィラデルフィア―ピッツバーグ間を結ぶ鉄道として発足し、一時は輸送量、売上げともアメリカ最大の規模を誇った。一方のニューヨーク・セントラル鉄道は、1831年にモホーク・アンド・ハドソンの社名でアメリカ北東部に鉄道事業を開始、1853年には九つの地域会社が合同してニューヨーク・セントラル鉄道となった。1879年の株式上場ではJ・P・モルガン(現、JPモルガン・チェース)が株式を引き受け、まもなく経営権まで手中に収めて金融界を驚かせた。モルガンはのちに鉄鋼をはじめとする主要産業をコントロールしていくが、ニューヨーク・セントラル鉄道に始まる鉄道支配はその第一歩であった。

 20世紀初頭に両社はニューヨーク―シカゴ路線を独占するまでとなり、高収益のこの路線をめぐって、半世紀以上にわたる熾烈(しれつ)な競争を繰り広げてきた。

[奥村皓一]

二大鉄道会社の合併交渉

第二次世界大戦後、長距離輸送では航空機、短距離輸送では自動車が急速に普及したため、アメリカ鉄道業は斜陽化して経営が困難となった。鉄道会社自体もコングロマリット合併で脱鉄道を開始しようとしていた。こうして、南北戦争の時代からライバル関係にあった二大鉄道会社、ペンシルベニア鉄道とニューヨーク・セントラル鉄道の合併交渉が1957年11月から開始された。

 合併後の総資産は50億ドル、全米10位の企業となる見込みで、独占禁止法に触れる恐れもあったが、1901年のUSスチールによる世界初の10億ドル企業の出現のようなインパクトを鉄道業界にもたらすと期待された。だが、ニューヨーク・セントラル鉄道は借金漬けであり、一方のペンシルベニア鉄道の財務状況は良好で脱鉄道のコングロマリット化へ向かっていたうえ、J・P・モルガンの合併仲介圧力で対立気配が濃厚であった。

[奥村皓一]

失敗に終わった合併

交渉開始から10年を経た1968年1月、独禁法違反の疑いで最高裁まで持ち込まれた後、やっと承認を受けた二強の合併は「史上最大の倒産に通ずる史上最悪の合併」といわれた。新会社ペン・セントラル鉄道は最初から経営陣がばらばらで衝突が絶えず、経営方針にも統一性がなかった。中央管理体制のニューヨーク・セントラル側と、裁量権が地区組織単位に分散していたペンシルベニア側の企業文化が異なり、運航ミス、渋滞などの混乱が広がって顧客の不満が高まった。合併は「両社の欠点の集合体」という批判が高まったが、最高経営者のサンダースはこれを無視したといわれている。

 さらに、合併の成果をあげるべく、ボストン―ニューヨーク―ワシントンを結ぶメトロポリタン線の建設にとりかかったが、建設費(約15億ドル)の捻出(ねんしゅつ)が困難で、ペン・セントラルは持株の売却を開始した。買収したばかりの非鉄道子会社の売却で必要資金をまかなったり、トラック関連などの優良子会社から高配当を絞り出して建設資金に投入した。

 ペン・セントラルはコマーシャルペーパー乱発の一方で、1970年3月に1億ドルの借入金返済のために社債発行を強行しようとした。だが、同年1~3月期の鉄道赤字が1億2000万ドルに達したため、社債発行中止のやむなきに至る。さらに、主要銀行のファースト・ナショナル・シティ銀行(シティバンクの前身)にも緊急融資を断られ、コマーシャルペーパーの債務不履行のため、同社の金融財務は発行・流通面で麻痺(まひ)状態となった。銀行団もペン・セントラルの株式売却を開始し、経営危機が深まるなか、1970年6月ペン・セントラルは政府管理下に入った。

[奥村皓一]

ペン・セントラルの没落

しかし、1970年6月ニクソン政権がペン・セントラルへの政府融資を見送ったため、同社は破産法77条に基づいて破産を申請し、裁判所の管理下に置かれることとなった。破産法管理のもと、同社は融資先からの返済請求から免れ、赤字を積み重ねつつも鉄道運行を続けることはできた。

 アメリカ政府が、経営破綻(はたん)した路線を統合し救済する体制をとり始めたのは、1970年代の中葉であった。混乱をきわめる鉄道業を立て直すべく、政府はアメリカ鉄道協会を設立し、ペン・セントラルを筆頭とする破綻路線を統合して、貨物輸送専門のコンレールConrail(Consolidated Rail Corp.)、旅客専門のアムトラックAmtrak(National Railroad Passenger Corp.)を編成した。双方の統合鉄道会社とも多額の補助金を得て、1976年から営業を開始した。アメリカ政府は鉄道再生規制法によって、コンレール、アムトラックを支援し、前者には21億ドルが注入された。1981年にはさらに15億ドルがコンレールに注ぎ込まれたが、政府の鉄道事業経営は成果があがらず、ペン・セントラル鉄道は最後には消滅への道を進んだ。

 コンレールは、ペン・セントラルの持株会社ペン・セントラル・カンパニーから鉄道路線の資産を買い取った。残ったペン・セントラル・カンパニーは、鉄道部門をもたない不動産や保険事業を中心とする多角企業となり、1978年社名をペン・セントラル・コーポレーションと改称。事業の多くは合併前のペンシルベニア鉄道がコングロマリット合併で買収した企業群であった。その後さらに企業規模を縮めて不動産、金融サービス専門の会社となって、1995年には社名をアメリカン・プレミア・アンダーライターズAmerican Premier Underwritersに改め、ペン・セントラルの名も消滅した。

[奥村皓一]

『Joseph R. Daughen, Peter BinzenThe Wreck of the Penn Central(1999, Beard Group)』『Robert SobelThe Fallen Colossus(2000, Beard Group)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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