改訂新版 世界大百科事典 「ホトトギス」の意味・わかりやすい解説
ホトトギス (杜鵑/時鳥/不如帰)
ホトトギス目ホトトギス科の鳥の1種,または同科の総称。ホトトギスCuculus poliocephalus(英名Eurasian little cuckoo)はカッコウ類の1種で,全長28cm,背面とのどは暗灰色,腹面は白と黒の横縞模様をしている。雌雄同色だが,雌にはまれに全体に赤褐色の羽色をした赤色型がある。カッコウやツツドリによく似ているが,この種のほうがひとまわり以上小さい。ヒマラヤから沿海州にかけてのアジアの東部で繁殖し,秋・冬季には南アジアや大スンダ列島に渡る。日本には夏鳥として5月中旬に渡来し,九州から北海道中部までの各地で繁殖する。ただし,九州では通過するもののほうが多い。“キョッキョ,キョキョキョ”と鋭い大きな声で鳴き,この声は“テッペンカケタカ”とか“特許許可局”とも聞こえる。初夏を告げる鳥としてよく知られ,昔から短歌や俳句によく詠まれている。この鳴声は日中だけでなく夜間にも聞かれる。低地から山地にかけての森林にすみ,樹上で昆虫,とくに毛虫をとって食べる。
托卵(たくらん)の習性をもち,巣づくり,抱卵,育雛(いくすう)はいっさい行わない。托卵相手はほとんどがウグイスで,まれにミソサザイやセンダイムシクイにも托卵する。卵はウグイスの卵と同じチョコレート色をしていて,一つの巣に1個だけ産みこむ。この際,巣内のほかの卵を一つ飲みこむか捨てるかしてしまう。雛は約10日で孵化(ふか)し,まだ孵化していないほかの卵を背中に一つずつのせて,巣の外に放り出してしまう。こうして巣内を独占し,仮親の世話を自分だけのものにして育つ。
ホトトギス科Cuculidae(英名cuckoo)の鳥は,極地や大洋島,高山を除いてほとんど全世界に広く分布しており,約130種に分類される。全長28~55cm,くちばしはじょうぶで下方に湾曲しており,尾は一般に長く多少ともくさび状である。対趾足であしゆびは2本ずつ前後に向かいあっている。羽色は全体に灰色や褐色のじみなものが多い。羽毛は密に生えているが,皮膚が薄いため抜けやすい。かなり多様な分類群であるため,この科は一般にカッコウ類(50種),キバシカッコウ類(30種),オオハシカッコウ類(4種),ミチバシリ類(13種),コウア類(10種),バンケン類(27種)の6亜科に分けられる。生態のうえでもかなり多様で,森林,低木林,農耕地,草原,荒地,半砂漠などさまざまな環境にすみ,昆虫や小動物をとって食べている。単独生活をしていることが多く,大きな群れをつくることはない。托卵の習性をもっているものはカッコウ類の全種とミチバシリ類中の3種である。日本ではカッコウ類のカッコウ,ホトトギス,ジュウイチ,ツツドリの4種が繁殖する。
執筆者:樋口 広芳
民俗
ホトトギスは独特の鳴声で,田植や山芋を掘る時期を知らせるので,農事に関係の深い鳥として〈四手(しで)の田長(たおさ)〉と呼ばれた。山芋は端午の節供のハレの食物でもあったので,熊本県阿蘇郡ではこの日に山芋を食べないとホトトギスになると伝えている。ホトトギスは季節の節目を告げる〈四手の田長〉としてその初音が待たれる一方,俗に〈一日に八千八声〉という昼夜をおかぬその鳴声が陰気で悲痛に聞こえるというので,〈死出の田長〉であるとも考えられた。ホトトギスを〈魂迎え鳥〉とか〈冥土の鳥〉とか呼んで,霊界との関係が深い鳥とみなす例は多い。中国には蜀王望帝の魂が死後化してホトトギスとなったとする俗信があるが,日本にもホトトギスを主人公とする小鳥前生譚の昔話が数多く伝えられている。その一つである〈時鳥と兄弟〉では,飢饉の折に食物をめぐる邪推から弟(または兄)を殺してしまった盲目の兄(または弟)が,化してホトトギスになり,前非を悔いて鳴くのだと語られている。この話は東欧と中国,日本にとくに多く分布する。また,ホトトギスの鳴声をまねるのは禁じられ,これを犯すと吐血して死ぬとかいわれた。なお,ホトトギスはウグイスの巣に托卵する習性があるので,ホトトギスを〈鶯の養子〉という地方がある。
執筆者:佐々木 清光
ホトトギス
toad lily
Tricyrtis hirta (Thunb.) Hook.f.
ユリ科の多年草。白地に紫斑のある花を咲かせ,この斑点が鳥のホトトギスの胸の斑紋に似ていることから和名が付いた。茎は高さ50~80cm,多くは崖縁などに垂れ下がるように生育する。葉は互生し,長楕円形から披針形で,先端はやや細長く伸び,長さ10~15cm,基部は茎を抱く。一般に茎と葉に斜め上向きの毛が多い。10月上~中旬,葉腋(ようえき)に1~数個の花を上向きにつける。花被片の長さは約3cm,外花被片の基部は膨らんで,中にみつを分泌する。おしべは6本,葯は丁字状につく。花柱は3裂し,おのおのの先はふたまたに分かれ,開花後しだいに下へ曲がって,葯をまたぐ。果実は細長く3cm前後の蒴果(さくか)で三角稜があり,先方が縦に割れる。中に長楕円形で薄い,長さ2~2.5mmの紫褐色の種子が多数つくられる。関東から西のおもに太平洋側を中心に分布するが,日本海側にも点在する。観賞用に栽培され,茶花などいけばなにもよく使われる。しかし,〈ホトトギス〉の名で栽培されているものは,通常,タイワンホトトギスT.formosana Bakerか,ホトトギスとタイワンホトトギスの雑種とみられるものである。
ホトトギス属Tricyrtisは東アジア特産の属で,約18種あり,その大部分(12種)は日本に分布する。これらは次の四つの類縁群(節)にまとめられる。(1)ジョウロウホトトギス節を代表するジョウロウホトトギスT.macrantha Maxim.は,外花被の基部に距(突起)を有する黄色花を垂れ下がるように咲かせる。四国特産で,ほかにキイジョウロウホトトギスT.macranthopsis Masam.,サガミジョウロウホトトギスT.ishiiana Ohwi et Okuyamaなどがある。日本特産群で,岩場に垂れ下がるように生育する。(2)キバナノホトトギス節には,キバナノホトトギスT.flava Maxim.に代表されるように黄色の花を上向きにつけるものや,チャボホトトギスT.nana Yatabeがある。これも日本特産である。(3)ホトトギス節はもっとも分布の広いもので,ホトトギスのほかにタイワンホトトギスが含まれる。(4)ヤマホトトギス節は通常紫色がかった花をつけ,ヤマホトトギスT.macropoda Miq.や,日本にもっとも普通なヤマジノホトトギスT.affinis Makino,あるいはもっとも北まで分布するタマガワホトトギスT.latifolia Maxim.を含む。
日本産の種の多くは西南日本に集中するが,タマガワホトトギスとヤマジノホトトギスは北日本にも分布する。ホトトギスの仲間は観賞用に栽培されるほか,あまり利用されない。しかしフィリピンのミンダナオ島の原住民は,野生するT.imeldaeの葉の汁を手に塗ったり,花を手のひらに置いて,カエルを捕らえるという。すべり止めと誘引の効果があるらしい。また薬用や食用にされることもあるが,重要ではない。
執筆者:高橋 弘
ホトトギス (ほととぎす)
俳句雑誌。松山の俳句団体松風会を母体とし,正岡子規を指導者として,1897年1月に創刊。翌年10月東京に移して高浜虚子が経営。俳句とともに,文章にも力を注いだ。文章では,子規の枕頭で〈山会〉と名付けた文章会も開き写生文を推進した。1902年の子規没後,虚子と河東碧梧桐の対立が誌上で表面化したが,碧梧桐が同誌から遠ざかり,虚子は小説に力を注いだ。小説誌の方向をたどる契機は,直接には夏目漱石の《吾輩は猫である》(1905)を掲載し好評を博したことで,以後,伊藤左千夫の《野菊の墓》(1906),鈴木三重吉の《千鳥》(1906),虚子の《風流懺法》(1907)など同派の作や,ほかに森鷗外の作品も載せ,同時代の自然主義文学と別趣の世界を見せた。大正初年から俳句雑誌として再出発の形をとり,虚子は〈守旧派〉を号して17音,季題趣味を基本とした俳風を主張。飯田蛇笏,原石鼎,前田普羅らの新人が育った。大正中期から,虚子は客観写生を説き事物の形状描写を中心とした俳風を育て,昭和に入ってからは〈花鳥諷詠〉を説いて天然美を中心とした日本詩の形成に力を注いだ。大正中期以後の俳人として,日野草城,山口誓子,水原秋桜子,富安風生,星野立子,中村汀女,中村草田男,川端茅舎らが育った。59年に虚子が没した後は,長男の高浜年尾(1900-79)が主宰,年尾の没後は年尾の二女稲畑汀子(いなはたていこ)(1931- )が主宰している。
執筆者:松井 利彦
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