ホノリウス2世(読み)ホノリウスにせい(英語表記)Honorius II

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホノリウス2世」の意味・わかりやすい解説

ホノリウス2世
ホノリウスにせい
Honorius II

[生]?. ファニャーノ
[没]1130.2.13. ローマ
ファニャーノ出身の第163代教皇在位 1124~30)。本名 Lamberto Scannabecchi。1117年,教皇パスカリス2世(在位 1099~1118)によりオスチア司教枢機卿(→カーディナル)に叙階された。また,教皇カリクスツス2世(在位 1119~24)の使者としてドイツに赴き,叙任権論争を終結させたウォルムス政教条約の締結に貢献。1124年12月,カリクスツ2世没後の教皇選挙ケレスチヌス2世対立教皇。在位 1124.12.)に対抗して選出された。教会内部の改革と,教皇庁と各国指導者との間の和平を実現した。ドイツ王ロタール2世(3世。在位 1125~37)の選出を支持し,ロタールと対立していた,のちにホーエンシュタウフェン朝初代ドイツ王となるコンラート3世(在位 1138~52)を破門した。また,カラブリアの伯爵ロジェール2世に対する町や貴族らの反乱を起こさせたが,敗れ,ロジェールに公爵任命を強要された。

ホノリウス2世
ホノリウスにせい
Honorius II

[生]1009./1010. ベローナ?
[没]1072. ロンバルディアパルマ?
教皇アレクサンデル2世(在位 1061~73)の対立教皇(在位 1061~64)。本名 Peter Cadelo。パルマの司教だった 1045年頃,のちに教皇グレゴリウス7世(在位 1073~85)となる枢機卿ヒルデブラントが主導した教会改革運動に反対した。ヒルデブラントらにより進められたアレクサンデル2世の教皇選挙に抵抗し,ロンバルディアとドイツの司教の支援を受け,ドイツ王ハインリヒ4世(在位 1054~77)の摂政アグネス・フォン・ポアトゥーに擁立され選出された。ケルンの大司教アンノ率いる貴族らがハインリヒ4世を誘拐し,アグネス・フォンポアトゥーが失脚したことで教会分裂は終結した。1063年5月,マントバの会議でアレクサンデル2世が正統な教皇と認められ,ホノリウス2世は 1064年にローマを去った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android