ホルシュタイン(英語表記)Holstein, Friedrich August von

デジタル大辞泉 「ホルシュタイン」の意味・読み・例文・類語

ホルシュタイン(Holstein)

ドイツ北部、シュレースウィヒ‐ホルシュタイン州の南半部。もとデンマーク支配下のホルシュタイン公国で、1866年にプロイセン併合

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホルシュタイン」の意味・わかりやすい解説

ホルシュタイン
ほるしゅたいん
Holstein

ドイツ北部の歴史的地域で、中世の公国。現在のドイツ、シュレスウィヒ・ホルシュタイン州の南半分の地域。9世紀まではザクセン人の北部本領地であったが、804年カール大帝により征服された。12世紀以来シャウエンブルク家がホルシュタイン伯として北辺でデンマーク王と勢力争い、14世紀末に北隣のシュレスウィヒ公国をデンマーク王より取得した。この家系が絶えてから、1460年以降シュレスウィヒとともにデンマーク王に帰属、1474年ホルシュタインは公国になった。

[木谷 勤]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホルシュタイン」の意味・わかりやすい解説

ホルシュタイン
Holstein, Friedrich August von

[生]1837.4.24. プロシア,シュウェート
[没]1909.5.8. ドイツ,ベルリン
ドイツの外交官。 1860年プロシア外務省に入り,ロンドンワシントン D.C.,パリなどの大使館に勤め,ビスマルクに認められてその腹心となり,78年外務参事官,諸問題に関する豊富な知識と情報網によって影響力を強め,ビスマルクの失脚 (1890) 後,ドイツ外交の影の中心人物となった。ビスマルクの外交路線を 180度転換してロシアとの相互中立条約の更新やイギリスとの同盟に反対し,タンジール事件では強硬論を主張,ドイツを次第に孤立化させる主因となった。 1906年 B.ビューローによって解任されたが,その後も強い影響力をもち続けた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ホルシュタイン」の意味・わかりやすい解説

ホルシュタイン

ドイツ北部,シュレースウィヒ・ホルシュタイン州のアイダー川以南の地方。西は低湿地,東は低い丘陵で湖沼に富み,キールリューベックなどの良港がある。1386年シュレースウィヒと合体。乳用牛ホルスタイン原産地として有名。
→関連項目シュレスウィヒ・ホルシュタイン問題

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

367日誕生日大事典 「ホルシュタイン」の解説

ホルシュタイン

生年月日:1837年4月24日
ドイツの外交官
1909年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のホルシュタインの言及

【シュレスウィヒ・ホルシュタイン】より

…同国最北端の州で,ユトランド半島の南半を占め,北はデンマークに接し,東はバルト海,西は北海に面している。アイダーEider川をはさんで北がシュレスウィヒ(デンマーク語でスリースウィーSlesvig),南がホルシュタイン。バルト海のフェーマルン島,北海の北フリージア諸島およびヘルゴラント島を含み,面積は1万5659km2,人口271万(1995)。…

※「ホルシュタイン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android