ホール(Jim Hall)(読み)ほーる(英語表記)Jim Hall

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ホール(Jim Hall)
ほーる
Jim Hall
(1930―2013)

アメリカのジャズ・ギター奏者。本名ジェームズ・スタンリー・ホールJames Stanley Hall。ニューヨーク州バッファロー生まれ。オハイオで少年時代を過ごし、13歳のころからローカル・バンドで演奏活動を行う。クリーブランド音楽院で学位を得た後、1955年ロサンゼルスに赴(おもむ)き、ドラム奏者チコ・ハミルトンChico Hamilton(1921―2013)のクインテットに参加する。このころからジャズ・ファンの間で名を知られるようになり、翌1956年にはサックス、クラリネット奏者ジミー・ジュフリーJimmy Giuffre(1921―2008)のグループ、ジミー・ジュフリー・スリーのメンバーとなり1959年まで在籍する。この間、1957年に初リーダー作『ジャズ・ギター』を録音、1959年にはピアノ奏者ビル・エバンズとのデュオ・アルバム『アンダー・カレント』で、インタープレイ(ミュージシャンが相互に触発されながら行う即興的な演奏行為)の極致ともいえる素晴らしい演奏を残している。

 1960年から1961年にかけてジャズ・ボーカリスト、エラ・フィッツジェラルドの伴奏者を務めるかたわら、アルト・サックス奏者リー・コニッツとデュオを組み、ニューヨークのクラブに出演。1961年、テナー・サックス奏者ソニー・ロリンズのグループに加わり、サイドマンとしてアルバム『ブリッジ』(1962)に参加する。1963年、トランペット奏者アート・ファーマーArt Farmer(1928―1999)とピアノレスの双頭カルテットを結成し、アルバム『ライブ・アット・ザ・ハーフ・ノート』Live at the Half Noteを録音。1965年には、『ダウン・ビート』Down Beat誌国際批評家投票ギター部門の1位に輝く。

 1970年代に入ると、ベース奏者ロン・カーターRon Carter(1937― )とのデュオ・アルバム『アローン・トゥゲザー』(1972)や、『アランフェス協奏曲』(1975)などのヒット・アルバムでファン層を拡大させ、従来の「名脇役」から一躍花形ギター奏者としての地位を確立する。1980年代はピアノ奏者ミシェル・ペトルチアーニ、テナー、ソプラノ・サックス奏者ウェイン・ショーターとのトリオや、ギター奏者ビル・フリゼールとのデュオなど多様な編成で演奏活動を行い、1989年からはエフェクターの使用も開始する。1990年代以降もオーバーダビングを含むソロ・アルバムの制作や、ホーン・ストリング・アンサンブルを従えた演奏など、さらに活動の幅を広げた。

 ホールのギター奏法は、ジャズ・ギターの開祖といわれるチャーリー・クリスチャンからウェス・モンゴメリーに連なるビ・バップ的スタイルとは性格を異にしている。彼らの奏法が、ビ・バップ・ピアニストであるバド・パウエルのメロディ・ラインを重視した奏法をギターに引き写したものであるのに対し、ホールは、後の世代のピアニスト、ビル・エバンズの、より和声構造に重きをおいた奏法をギターに引き写したものといえる。こうしたスタイルは地味な印象を与えるので1950~1960年代はサイドマンとしての仕事が多かったが、その先進的なアイディアは、その後第一線で活躍するギタリスト、パット・メセニー、ジョン・スコフィールド、フリゼールらに多大な影響を与えた。

[後藤雅洋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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