ホール(Steven Holl)(読み)ほーる(英語表記)Steven Holl

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ホール(Steven Holl)
ほーる
Steven Holl
(1947― )

アメリカの建築家。ワシントン州ブレマートン生まれ。1971年ワシントン大学建築学部卒業。その後ヨーロッパに留学し、ローマロンドンAAスクール(Architectural Association School)で研究活動を行う。1976年ニューヨークで独立し、スティーブン・ホール・アーキテクツを開設。1981年からはコロンビア大学教鞭をとり、そのほかワシントン大学やニューヨークのプラット・インスティテュート等でも教えている。

 独立初期のプロジェクトとしては、ソコロフ邸の隠れ家(1976、サン・トロペ)、メッツ邸(1981、ニューヨーク)などがある。この時期のホールの作品はほとんどが架空の計画案でとどまっているが、そのため、かえってホールの空間への志向が高い純度で表現されている。それらを特徴づけているのは、明快な幾何学による厳格な空間構成と、詩情あふれるドローイングである。メッツ邸を発表したころから、ホールの作品には幾何学的な厳格さを基本としながらもそれを崩していく流動性や動き、リズムといった要素が導入される。そうした住宅作品の代表例としてストレット・ハウス(1992、ダラス)が挙げられる。

 1980年以降にはアパートメントやショールームの改装を断続的に手がけ、水彩のドローイングによる複雑な建具(ドアや窓といった建築部位)の計画や多様な光のコントロールによって、独自のインテリア空間を生み出した。そうした事例としては、コーエン・アパートメント(1983、ニューヨーク)、ギアダ・ショールーム(1987、ニューヨーク)、D・E・ショー・オフィス(1992、ニューヨーク。アメリカ建築家協会優秀賞)などがある。

 また、1991年ウォーカー・アート・センター(ミネアポリス)で個展開催。1995年にはMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催された「ライト・コンストラクション」展で、レム・コールハースやフランク・O・ゲーリーとともに、1990年代を代表する建築家として招待された。

 こうした活動と同時にコンペティションにも参加し、1992年にはヘルシンキ現代美術館国際コンペで516案のエントリーのなかから最優秀賞に選ばれている。ヘルシンキ現代美術館(1998)は、「キアズマ」(ギリシア語で「交差」の意味)をテーマに、二つのボリュームがねじれながら交差している建築で、1か所に留まることのない流れるような空間を生み出している。また、ホールは水彩によるドローイングから空間を構想することを得意としており、メルロ・ポンティらの現象学の言説を援用しつつ、客観的な図面のみでは記述できない空間の質について繰り返し言及している。これは、初期のころからインテリア・デザインを多く手がけていることとも無縁ではないが、1990年以降、大規模な作品を手がけるようになってからも、そうした問題に対する関心はあらゆる作品に通底している。

 ホールはまた日本にもなじみが深く、龍安寺をたびたび訪れ、芭蕉の『奥の細道』について言及するなど、その思い入れの強さがうかがえる。日本における作品にはネクサスワールド香椎(かしい)(1991、福岡県)、幕張ベイタウン・パティオス11番街区(1996、千葉県)といった集合住宅がある。

 1995年シアトル大学聖イグナティウス礼拝堂によりニューヨーク・アメリカ建築家協会デザイン賞受賞。1998年アルバ・アールト・メダルが授与される。そのほかの代表作にはサルファティストラート・オフィス(2000、アムステルダム)やマサチューセッツ工科大学学生宿舎(2002)などがある。これらの作品では建物の表層がテーマとなっており、これまでのホールの作品とは異なる新しい建築表現が試みられている。

[南 泰裕]

『スティーヴン・ホールほか著、櫻井義夫訳『知覚の問題――建築の現象学』(1994・エー・アンド・ユー)』『二川幸夫編『GA ARCHITECT 11: Steven Holl』(1993・エーディーエー・エディタ・トーキョー)』

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