ボア(Yve-Alain Bois)(読み)ぼあ(英語表記)Yve-Alain Bois

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ボア(Yve-Alain Bois)
ぼあ
Yve-Alain Bois
(1952― )

アルジェリア生まれの美術史家、美術批評家。フランスで活動したのちアメリカに拠点を移す。専門は近現代美術史で、この分野におけるフォーマリズム形式主義)の再構築を目指す。

 パリ大学に学び、さらにロラン・バルトの指導の下、1973年パリ高等学術研究院で修士号を、77年社会科学高等研究院で博士号を取得。

 76年から79年にかけて、友人らとともに先鋭的な美術批評誌『マキュラMacula刊行。1960年代アメリカの美術批評家クレメント・グリーンバーグの批評をフランスに紹介する。哲学者や文学者たちの観念的な美術論が尊ばれるフランスの美術界では、作品の具体的で精密な分析は等閑視される傾向にあった。まさにそうした分析を行うグリンバーグを紹介することで、ボアはフランスの美術批評の状況に一石を投じようとしたのである。

 その後しだいにアメリカに拠点を移したボアは、フランス以外の国でも美術史研究が抱えている問題点について、指摘せざるをえなくなる。90年に英語で刊行された主著である論文集『モデルとしての絵画Painting as Model冒頭で、彼は「脅迫状」という比喩を用いながらその問題点を指摘する。彼によれば、美術史研究や美術批評を行う者には、何通もの脅迫状が舞い込んでくる。「理論主義」「反理論」「流行」「反形式主義」「社会的・政治的要請」「象徴性」……これらを考慮、あるいは遵守せよという暗黙の「脅迫」に対して、あからさまにではないけれども対抗してゆくのが自分の仕事だ、そうボアは述べた。

 その彼が参照するのはグリーンバーグに代表される研究方法、つまり徹底して作品から見て取れるものだけに基づいて論を進めるフォーマリズム批評である。ただボアは、アメリカの抽象表現主義頂点と見なすような、グリーンバーグ流の一貫した価値観・歴史観をも参照することはない。そうした価値観・歴史観の体系を完成させることよりはむしろ、個々の作品との、個別的な出合いから得られるものをすべて克明に暴き出すことをボアは選択した。

 この選択によって彼の研究は、完成した作品の視覚的な「見え」を分析する「形態学」のレベルから、なぜその作品はその形態をとるに至ったのかという、形態をいわば下支えする「構造」分析のレベルに至る。こうして、たとえばマチスの色彩表現が独創的であるということの真の意味が、あるいはモンドリアンが『ニューヨーク・シティ』(1941~42)など後期の作品をカラーテープを編むようにして貼ることで構想したことの意味が、そして「北極と南極」とさえ形容されたマチスとピカソの作品がしばしば類似してしまうことの意味が、明らかにされる。マチスは西洋の画家で初めて色の感覚がその面積と不可分の関係にあり、したがって実際にその大きさで塗ってみなければ思ったような絵は描けないことを見抜いたのであり、モンドリアンは水平においた画面にテープを貼ることで、その絵画の、暴力的な、あるいは野蛮な物質性を感得していたのであり、マチスとピカソは互いに相手に影響されるままにあったというよりも、まるでチェスの勝負やタンゴを踊るときのように、お互いの出方、つまり作品を鋭くうかがい、ときにそれを強引に自分の作品のうちに取り込んでいった。そう説くボアはこの自身の研究方法を、「唯物論的フォーマリズム」と呼ぶ。

 ボアはまた、こうした研究成果を著作だけではなくときに展覧会として示す、優れた企画者でもある。「マチスとピカソ」展(1999、キンベル美術館、フォート・ワース)もその一つであり、また97年にはロザリンド・クラウスと共同で近現代美術史の根本的な読み直しを提案する、「無形――使用の手引き」をポンピドー・センターで企画している。さらにはバーネット・ニューマンのカタログ・レゾネ(作家や美術館の作品の総目録)の作成などの、緻密で実証的な作業にも取り組むなど、多方面で活躍する研究者である。

[林 卓行]

『宮下規久朗監訳『マチスとピカソ』(2000・日本経済新聞社)』『Painting as Model (1993, MIT Press, Cambridge)』

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