ボリショイ劇場(読み)ボリショイげきじょう

精選版 日本国語大辞典 「ボリショイ劇場」の意味・読み・例文・類語

ボリショイ‐げきじょう ‥ゲキヂャウ【ボリショイ劇場】

(ボリショイはBol'šoj 大きい意) モスクワにあるロシア国立劇場。一七七六年創設。専属の歌手合唱団バレエ団、管弦楽団をもつ。

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デジタル大辞泉 「ボリショイ劇場」の意味・読み・例文・類語

ボリショイ‐げきじょう〔‐ゲキヂヤウ〕【ボリショイ劇場】

《〈ロシア〉Bol'shoyは大きい意》モスクワにあるロシアの国立劇場の通称。1776年に創立。専属のバレエ団・合唱団・楽団などをもつ。

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百科事典マイペディア 「ボリショイ劇場」の意味・わかりやすい解説

ボリショイ劇場【ボリショイげきじょう】

ロシアのモスクワにあるオペラ・バレエ劇場。Bol'shoi teatr,Moskva。1776年創立の小一座が起源。1825年現在地に新劇場が落成,以来〈大〉を意味する〈ボリショイ〉の名で呼ばれる。旧ソ連各地に〈ボリショイ〉の名を冠する劇場があるが,単にボリショイ劇場という場合,この劇場を指す。現在の建物は1856年A.K.カボス〔1801-1863〕設計によるもので,第2次大戦後改修。帝政時代,そして1917年のロシア革命後も,ペテルブルグマリインスキー劇場と並んでロシア音楽文化の中心的役割を担ってきた。専属の歌手,合唱団,オーケストラ,バレエ団をもつ。ことにそのバレエ団は1902年ペテルブルグから首席バレエ・マスターに迎えられたA.A.ゴルスキー〔1871-1924〕がロシア古典バレエの近代化をはかって以来,大きく発展した。〈ボリショイ・スタイル〉と呼ばれるダイナミックな舞踊は第2次大戦後,西欧にも紹介され,バレエ界に大きな影響を与えた。バレエ団の初来日は1957年。→ウラノワオペラ座白鳥の湖ビシネフスカヤプリセツカヤポクロフスキーマシンモイセーエフ
→関連項目イッポリトフ・イワーノフモスクワロストロポービチローヤル・バレエ団

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改訂新版 世界大百科事典 「ボリショイ劇場」の意味・わかりやすい解説

ボリショイ劇場 (ボリショイげきじょう)
Bol'shoi teatr, Moskva

モスクワにあるオペラ・バレエ劇場。ソ連時代の正式名称はソ連邦国立レーニン勲章アカデミー・ボリショイ劇場。サンクト・ペテルブルグにもサンクト・ペテルブルグ・ボリショイ・ドラマ劇場があるが,単にボリショイ劇場という場合は,モスクワのこの劇場を指す。その起源は1776年にさかのぼるが,それは貴族の邸宅を借りてオペラ,バレエ,ドラマを演じる小一座にすぎなかった。これがやがて帝室劇場の管轄下におかれ,1825年モスクワ中央の現在地にボベーOsip(Iosip) Ivanovich Bove(1784-1834)の設計により新劇場が落成した。このとき〈大〉を意味する〈ボリショイ〉と名づけられた。19世紀初頭の帝政ロシアの国運の隆盛,国民的自覚の高まりを背景に,劇場は世紀の半ばには国民楽派の祖グリンカのオペラを上演し,また西欧バレエの新作を紹介するなど,ヨーロッパの大劇場に比肩するものとなった。しかし劇場は53年大火にあい,56年カボスAl'bert Katerionovich Kavos(1801-63)の設計になる現存のボリショイ劇場が完成した。以後サンクト・ペテルブルグのマリインスキー劇場とともにロシア音楽文化の発展に中心的役割を果たすことになった。とくに19世紀末から20世紀にかけては,折から輩出したロシア作曲家のオペラの上演,シャリアピン,L.V.ソービノフ,A.V.ネジダーノワら名歌手と,強力な合唱団,絢爛たる舞台美術,劇的迫力に富む新演出により,しだいにその声価を高めてきた。

 けれどもボリショイ劇場が真に全世界の注目の的となったのは,1917年のロシア革命後,首都がモスクワに移るにともない,連邦政府直轄の劇場として強大な援助栄誉をうけることになったからである。それは第2次大戦後のオペラ,バレエの全制作部門にわたる人材の集中によっても知られよう。1980年代前半には,管弦楽団総員250名,ソリスト歌手75名,合唱団170名,バレエ団250名,ミミック・アンサンブル100名,少年合唱団35名,舞台制作関係400名,管理部その他をあわせて総計約3000名であった。舞台の額縁が20.5m×17.8m,奥行き23.5m,観客席数は2150。上演目録はオペラ30編,バレエ20編より成り,毎シーズン3~4編の新演出があり,日替りで上演されている。なおボリショイ劇場は61年開場のクレムリンの大会宮殿(座席5803)を付属劇場として一体運営にあたっていた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボリショイ劇場」の意味・わかりやすい解説

ボリショイ劇場
ぼりしょいげきじょう
Большой Театр/Bol'shoy Teatr

モスクワにあるロシアの国立劇場の名称。ボリショイは「大」の意。1776年にエカチェリーナ2世の命でつくられたのに始まる。数度の火災による再建を繰り返し、現在の建物は1856年に完成(1958改修)。ラフマニノフ、アントン・ルビンシュテイン、チャイコフスキーらが自作を指揮したこともある、ロシアを代表するオペラとバレエの常設劇場で、専属の声楽家、合唱団、バレエ団、管弦楽団などを擁し、毎年9月から翌年の6月にかけて連日公演を行っている。客席数2150。1969年からはユーリー・シモノフが首席指揮者を務めた。付属のバレエ学校もあり、バレエ界に逸材を送り続けている。大改修のためしばらく閉鎖されていたが、ソ連解体後は財政危機のなかにありながらも、充実した公演を続けている。

[美山良夫]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボリショイ劇場」の意味・わかりやすい解説

ボリショイ劇場
ボリショイげきじょう
Bolshoi Teatr

ロシア,モスクワにある劇場。大劇場を意味し,名実ともにロシア最大,最高の劇場で,オペラおよびバレエ劇場として世界的に有名。 1780年に建設され,初めペトロフスキー劇場と呼ばれた。 1805年火災にあったのち帝室劇場となり,25年再建の際にボリショイの名が冠せられた。 53年に再び焼失し,現在の建物は 56年に建築家 A.カボスの手によって完成されたもの。オーケストラ,合唱団・歌手,バレエ団,制作部など総勢約 3000人で構成されている。座席数約 2100。

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世界の観光地名がわかる事典 「ボリショイ劇場」の解説

ボリショイげきじょう【ボリショイ劇場】

ロシアの首都モスクワにある劇場。赤の広場のすぐ近くに建つ、オペラとバレエの殿堂である。建物正面の屋根上には、4頭立てのローマ式戦車の銅像がある。劇団が創設されたのは1776年3月で、1780年に現在の場所に劇場が建設された。◇現在の建物は1856年に建築家カヴォスによって再建されたもので、一般に「ボリショイ」といえばこの劇場を指す。

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世界大百科事典(旧版)内のボリショイ劇場の言及

【オペラ】より

…初演61年9月24日,モーツァルト《ドン・ジョバンニ》。 ボリショイ劇場Bol’shoi teatr,Moskva(正式名はソ連邦国立レーニン勲章アカデミー・ボリショイ劇場Gosudarstvennyi ordena Lenina akademicheskii Bol’shoi teatr SSSR.)1776年ウルソフとマドックスにより建てられたものが前身。1825年ペトロフスキー劇場からボリショイ劇場と改称,53年焼失,56年再建,建築設計A.カボス。…

【オペラ】より

…初演61年9月24日,モーツァルト《ドン・ジョバンニ》。 ボリショイ劇場Bol’shoi teatr,Moskva(正式名はソ連邦国立レーニン勲章アカデミー・ボリショイ劇場Gosudarstvennyi ordena Lenina akademicheskii Bol’shoi teatr SSSR.)1776年ウルソフとマドックスにより建てられたものが前身。1825年ペトロフスキー劇場からボリショイ劇場と改称,53年焼失,56年再建,建築設計A.カボス。…

【バレエ】より

…ロシアにおけるバレエは,17世紀の初めピョートル大帝が,ルイ14世を見習って舞踊を民衆の娯楽として採用したことに始まるが,エカチェリナ2世の時代(1762‐96)になって,フランスから多くの優秀な振付師,教師が招かれて急速に発展した。1847年にはフランスからM.ペチパが招かれ,ペテルブルグのボリショイ劇場,のちのマリインスキー劇場の振付師として画期的な名作を数多く上演し,この劇場を世界のバレエの中心とした。19世紀末になるとそれも終りを告げるが,死の灰の中から不死鳥が生まれるように,ディアギレフがマリインスキー劇場の若い舞踊家たちを集めて〈バレエ・リュッス〉を組織し,1909年パリで旗揚げをして大成功をおさめた。…

【ボリショイ・バレエ団】より

…ロシアのバレエ団。モスクワのボリショイ劇場所属。1776年につくられたオペラ,バレエ,ドラマを演ずる小さな一座を起源とするが,当初は専属の劇場をもっていたわけではない。…

【モスクワ】より

…街区の整理はかなりすすんでいるが,それでもたとえばクレムリンに近いクズネツキー・モストやアルバート通りのような横町や裏通りは,狭い曲がりくねった街路と低い家並みに19世紀的な雰囲気をただよわせている。政府の中枢的な機関はクレムリン,キタイ・ゴロドとその周辺に集中しており,その付近には古くからのホテル,デパート,さらにはボリショイ劇場をはじめとする文化的な施設が多い。1971年から始まった総合発展25ヵ年計画にもとづき,工場などの産業施設はなるべく市外に移転させるとともに,人口の急増に対応すべく南西部のユーゴ・ザーパドなど,かつての郊外の随所に大規模な住宅団地がつくられ,10階以上のアパート群の建設がすすんでいる。…

【ラブロフスキー】より

…ソ連邦の舞踊家,振付師。ペテルブルグに生まれ,1922年レニングラード舞踊学校卒業,同地のマールイ劇場,キーロフ劇場の首席バレエ・マスターを経てボリショイ劇場の芸術監督(1944‐56,1960‐64)となった。彼は従来のおとぎ話や説話を主題としたバレエにかわる劇的真実をもつ写実的舞踊劇の創造をめざした。…

※「ボリショイ劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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