ボルティモア(男)(読み)ボルティモア[だん](英語表記)Baltimore, George Calvert, 1st Baron

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボルティモア(男)」の意味・わかりやすい解説

ボルティモア(男)
ボルティモア[だん]
Baltimore, Charles Calvert, 3rd Baron

[生]1637.8.27.
[没]1715.2.21. ロンドン
アメリカ植民地時代のイギリス人行政官。2代ボルティモア男爵の子。 1661年父の建設したメリーランド総督となったが,カトリックであったことと,インディアンとの敵対,W.ペンとの対抗のゆえに内紛が絶えず,選挙権を制限したり,議会を通過した法案を握りつぶしたりした。名誉革命によって植民地所領を奪われて帰国教皇派陰謀事件 (1678) に参画。 1713年息子ベネディクト・レナード・カルバートは国教徒に改宗し,15年メリーランド植民地を回復した。

ボルティモア(男)
ボルティモア[だん]
Baltimore, George Calvert, 1st Baron

[生]1580頃.ヨークシャー
[没]1632.4.15. ロンドン
イギリスの政治家,アメリカ植民地建設者。 1609年下院議員になり,枢密院書記官などを経て 19年国務大臣。 25年カトリックであることを告白して官職を辞し,男爵位とアイルランドの大所領を獲得。これより先現カナダのニューファンドランドに探検隊を派遣し,23年植民特許状を得,27年と 29年みずから植民地におもむいたが失敗。帰国後,もっと条件のよい植民地の特許状を王に願い出たが容易に与えられず,死の直後にメリーランド植民地特許状が下付された。これにより,長男の2代ボルティモア男爵が父の遺志を継いで植民地を建設した。

ボルティモア(男)
ボルティモア[だん]
Baltimore, Cecilius Calvert, 2nd Baron

[生]1605
[没]1675
アメリカ植民地時代初期のイギリスの植民地建設者。初代ボルティモア男爵の子。 1632年6月 20日死亡した父の代りに,国王チャールズ1世より北アメリカのメリーランド植民地の特許状を受け,カトリック教徒の住める植民地を建設。その地の首都を父を記念してボルティモアと名づけた。

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