ボレスワフ[曲唇侯](読み)ぼれすわふ

世界大百科事典(旧版)内のボレスワフ[曲唇侯]の言及

【ポーランド】より

…隣国と支配圏が複雑に交錯している状態を想定すべきである)。 ミエシュコ1世の後を引き継いだボレスワフ勇敢王Bolesław Chrobry(966ころ‐1025)は,その支配地域を異教徒の住むプロイセン地方に広げるため,プラハ司教ボイチェフ(アダルベルト)に布教を依頼し,彼が殉教するとその事実をローマの教皇に伝えるとともにグニェズノ大司教座(マクデブルク大司教座からの独立を意味する),クラクフ司教座(マウォポルスカ地方の布教を担当),ブロツワフ司教座(シロンスク地方の布教を担当),コウォブジェクKołobrzeg司教座(ポモジェ地方の布教を担当)を設置する許可を得た。西暦1000年(最後の審判の年だと信じられていた),グニェズノに埋葬された聖人ボイチェフの墓に詣でた神聖ローマ皇帝オットー3世は,大司教座の設置とともにボレスワフ勇敢王に王冠を授けている(教皇の認可を得るのは1025年)。…

※「ボレスワフ[曲唇侯]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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