ポルト(英語表記)Porto

デジタル大辞泉 「ポルト」の意味・読み・例文・類語

ポルト(Pôrto)

ポルトガル北西部の港湾都市。ドゥーロ川河口に位置する。ポートワインの積み出し港として発展。1996年、旧市街が「ポルトの歴史地区」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。オポルト

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改訂新版 世界大百科事典 「ポルト」の意味・わかりやすい解説

ポルト
Porto

ポルトガル北西部,ドウロ河口右岸にある同国第2の都市。国際的にはオポルトOportoとして知られる。人口23万6210(2005)。ポルトを県都とする同名県の人口密度(648人/km2)は国内有数の高い値を示す。モンデゴ川以北の地域における商工業の中心都市で,ドウロ川左岸とは三つの橋で結ばれ,同市を中心に道路,鉄道網も発達している。市の北西の大西洋岸には大型船舶の出入りするレイションイス港が控え,中心街から13kmの地点には国際空港もある。

 市内で発見された先史時代の遺構により同市の起源は紀元前3000~紀元前4000年にさかのぼることが知られている。ローマ時代初期にはカレCaleの名で知られるが,4世紀末には〈カレの港〉を意味するポルトゥス・カレPortus Caleが町の呼称として一般化し,12世紀には単にポルトと呼びならわされるにいたる。一方,ドウロ川以北,リマ川以南の地域全体の呼称となったポルトゥス・カレからのちの王国名ポルトガルが生まれた。商業都市ポルトの繁栄は,ドウロ川流域で産するブドウを原料とする独特の甘味酒(ポートワイン)の生産,輸出と密接な関係をもつ。ポルトのブドウ酒,すなわちポートワインのイギリスへの輸出は17世紀末より盛んになるが,1703年のメシュエン条約によりイギリスがポルトガル産ブドウ酒の輸入に関して特恵待遇を約して以来,飛躍的に増加した。18世紀を通じてドウロ川流域の開墾が著しく進み,山の斜面に階段状のブドウ畑が一面に広がる今日の景観が生み出された。品質管理などを目的とするポートワイン専売会社の設立(18世紀中ごろ)など,政府の保護政策にも支えられ,ポートワインは今日世界的に有名な甘味ブドウ酒となっている。

 ポルトはリスボンに次ぐ国内第2の工業都市で,織物,化学,食品,貴金属加工などの工業が行われる。〈三つの橋の都〉の名で親しまれる観光都市としても知られ,神父の塔(18世紀中ごろ),セドフェイタ教会(12世紀)など多くの宗教的建造物を擁している。南蛮屛風やソアレス・ドス・レイス(19世紀)の彫刻を収める国立博物館,1911年創設されたポルト大学付属人類学博物館など,個性的な博物館も多い。リベルダーデ広場から市役所にいたる中心街の近代的な様相は,ドウロ川沿いの斜面一帯に広がる家屋密集地区の雑然とした景観と興味深い対照をなす。ポートワイン貯蔵庫のたち並ぶ対岸のビラ・ノバ・ダ・ガイアをはじめ,近郊の都市化が近年とくに著しい。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポルト」の意味・わかりやすい解説

ポルト
ぽると
Porto

ポルトガル北西部、ドーロ・リトラル地方の中心都市で、首都リスボンに次ぐ同国第二の都市。人口26万2928(2001)。英語名オポルトOporto。ドーロ川の河口に位置し、同川下流域でつくられるポートワインの積出し港として世界的に有名。市街は河口北岸に発達するが、二階建て構造の鉄橋ドン・ルイス1世橋をはじめ、19世紀にエッフェルやその弟子たちのつくった二つの橋と新しい一つの橋により、南岸の町ビラ・ノバ・デ・ガイアVila Nova de Gaia(人口6万9167、2001)と結ばれる。ワインのブレンドおよび貯蔵はおもにこの南岸の町で行われる。人口の約3分の1はワイン関連産業で働いており、ワインの町、それもことにイギリスとの結び付きが強い点ではフランスのボルドーに似る。ドーロ川の川幅が狭く、また土砂堆積(たいせき)が進んだため、大西洋に臨む人工港湾レイションイス港Porto de Leixõesが19世紀末から築造され、1932年に拡張された。このレイションイス港周辺に工場地帯があり、繊維、金属、ゴムの諸工業ならびに石油化学プラントが立地している。

 ドーロ川沿いの斜面には古い家屋が密集し、石畳の細い坂道が間を縫う。大聖堂は12世紀創建、18世紀まで増改築が繰り返され、ロマネスク、バロックの様式が混合する。クレリゴスの塔は18世紀建造、高さ75メートルで、船乗りの好目標となっている。ほかにゴシック、ロマネスクの教会や教会堂は数多い。16世紀以来の絵画、彫刻、陶器類を収蔵するソアレス・ドス・レイス国立博物館、歴史民族学博物館、ポルト大学(1911創立)などの文化施設が整っている。1996年この歴史地区がオポルトの歴史地区として世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録されている。

[田辺 裕・柴田匡平]

歴史

ローマ時代にはポルトゥス・カレPortus Cale(カレの港)として知られ、ポルトガル国名はこの都市に由来する。スエビ王国時代には王国首都ブラガと並ぶ重要な都市であった。8世紀初頭以来イスラム勢力の支配下にあったが、868年キリスト教徒に回復された。ポルトガル独立(1143)後、その支配権をめぐって王権とポルト司教との間に長い闘争が続いたが、ジョアン1世の即位(1385)に際してポルトはリスボンと並んで決定的な役割を果たしたため市民に多くの特権が付与され、貴族は市内での居住が禁じられた。しかし、ポルトが本格的に発展するのは、17世紀末イギリスへのポートワイン輸出が盛んになり始めてからのことである。1500年ごろ約1万にすぎなかった人口もこのころようやく2万を超えた。さらに、18世紀後半にはポンバル侯によって強力に保護され、ポートワインはビラ・ノバ・デ・ガイアからヨーロッパ各国に輸出された。

[金七紀男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポルト」の意味・わかりやすい解説

ポルト
Porto

ポルトガル北西部,ポルト県の県都で,ポルトガル第2の都市。別称オポルト Oporto。ドーロ川右岸に位置し,ポートワインの醸造と取り引きで世界的に有名。ローマ時代に建設され,540年頃には西ゴート族,716年にはムーア人 (→ベルベル人 ) の支配下に入った。 997年キリスト教徒が町を奪回,ポルトガル南部が依然ムーア人の支配下にあったときも,ポルトガル伯領の首都として繁栄した。綿布,羊毛,絹,皮革,陶器,たばこ,金銀細工などが生産されるほか,漁業も盛んで,タラ,タイ,イワシの漁獲が多い。エンリケ (航海王子)の出身地で,美しい風景に囲まれた白亜の町並みは 1996年世界遺産の文化遺産に登録。 12世紀に建設されたロマネスク様式の大聖堂をはじめ,ロマネスク,初期ゴシック両様式を伝える聖マルティニョデセドフェイタ聖堂や,18世紀中頃に建てられた約 75mの花崗岩でできたクレリゴス塔などがある。ドーロ川対岸のビラノバデガイアにはポートワインの貯蔵所,ブレンド工場などが立地。なお市名を冠したポートワインの名は,ドーロ川沿岸地方で醸造された,アルコール度数 16.5度以上のワインにのみ許される。人口 35万 (1987) 。

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百科事典マイペディア 「ポルト」の意味・わかりやすい解説

ポルト

ポルトガル北西部,ドウロ川河口の港湾都市。ブドウ酒(ポートワイン)の醸造・取引の世界的な中心で,オポルトOportoとも呼ばれる。繊維,皮革,タバコ,宝石,金銀細工などの工業も行われる。18世紀の〈神父の塔〉(75m),大学(1911年創立)がある。歴史地区は1996年,世界文化遺産に登録。23万7591人(2011)。

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