日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
マイヨール(Aristide Maillol)
まいよーる
Aristide Maillol
(1861―1944)
フランスの彫刻家。スペイン国境に近い南フランスの地中海沿岸バニュルス・シュル・メールに生まれる。初め画家を志して1881年にパリに出るが、エコール・デ・ボザールの入学試験に失敗を重ね、85年ようやく入学を許され、ジェロームとカバネルの教室に入る。やがて平面性を強調するゴーギャンの作品から影響を受けるに至り、ゴーギャン芸術を信奉する若い画家のグループ、ナビ派と親交を結んでその一員となる。ナビ派の装飾的構図にひかれてタペストリーにも興味をもち、その制作に自らの進むべき道をみいだそうとした。しかし細かい仕事がたたって目を病み、1900年には断念せざるをえなくなった。彼は不惑を迎えようとして迷い、模索を続けたが、結局1895年ころから手がけていた彫刻に転じた。1902年、画商ボラールのもとで最初の個展が開かれ、このときロダンがブロンズの小像『レダ』を激賞した。以来、彫刻を天職と自覚したマイヨールは大作に挑み、05年のサロン・ドートンヌに『地中海』を出品、その豊かで気品に満ちた重量感、調和にあふれた静かな構成は、ジッドやミルボーらの賞賛するところとなり、現代彫刻の革新者としての名声を確立した。
マイヨールの彫刻は、ロダンの作品にみられるニュアンスに富んだ肉づけと劇的な構成とは対照的に、単純明快で滑らかな面によって構築され、豊かなボリュームを生み出している。その古典的な静謐(せいひつ)さは地中海文化の人間性に源を発し、普遍性、永遠性にも通じるものを感じさせるが、そこにはまごうかたなき現代性が刻印されている。彼は生涯を通じてあらゆる注文に女性の姿をもってこたえた。彼においてはあらゆるものが、あらゆる観念が女性の肉体として現れる。交通事故にあい、バニュルスの自宅で没した。
[大森達次]