マウリツィオ ポリーニ(英語表記)Maurizio Pollini

現代外国人名録2016 「マウリツィオ ポリーニ」の解説

マウリツィオ ポリーニ
Maurizio Pollini

職業・肩書
ピアニスト,指揮者

国籍
イタリア

生年月日
1942年1月5日

出生地
ミラノ

学歴
ミラノ音楽院〔1959年〕卒

受賞
グラミー賞(クラシック最優秀独奏)〔1979年〕「バルトークピアノ協奏曲No.1&2」,ジーメンス音楽賞〔1996年〕,レコード・アカデミー賞(器楽曲部門)(日本)〔1999年〕,グラミー賞(クラシック最優秀独奏)〔2007年〕「ショパンの夜想曲集」,世界文化賞(音楽部門,第22回)〔2010年〕,ジュネーブ国際音楽コンクールピアノ部門第2位(1位なし)〔1958年〕,エットレ・ポッツォーリ国際ピアノコンクール第1位(第1回)〔1959年〕,ショパン国際ピアノコンクール第1位(第6回)〔1960年〕

経歴
5歳でピアノを始める。カルロ・ロナーティに師事し9歳でデビュー。ミラノ音楽院でカルロ・ヴィドゥッソに師事した。1958年ジュネーブ国際音楽コンクールで1位なしの第2位、’59年エトーレ・ポッツォーリ・コンクールおよび’60年第6回ショパン国際ピアノコンクールで優勝。以後’68年まで演奏活動から退き、指揮法を学ぶとともにミケランジェリ、A.ルビンシュタインらに師事して研鑚を重ね、’68年ロンドンで再びデビュー。以来、第二次大戦後世代の代表的ピアニストとして活躍。’71年ドイツ・グラモフォンで録音開始。’72年ノーノ作曲「力と光の波のように」の世界初演に参加。’74年シェーンベルク生誕100年に際し、その全ピアノ曲演奏を各地で行い、話題を呼んだ。’87年ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲をウィーン・フィルと演奏。’93〜94年ベートーヴェンのピアノソナタ全曲を初めて演奏。’95年ザルツブルク音楽祭で連続演奏会「ポリーニ・プロジェクト」を開催。’99年ザルツブルク、ニューヨークでも開催し、2002年には日本に上陸。2005年CD「ショパン夜想曲集」、2006年CD「モーツァルト・ピアノ協奏曲第17番・21番」(弾き振り)、2009年「バッハ・平均律グラヴィーノ曲集第1巻」を刊行。ショパンを得意としながらも、フランス音楽や現代作品まで幅広く演奏。特にシェーンベルク、ブーレーズ、ノーノ、シュトックハウゼンなどの作品を積極的に取り上げる。1974年初来日、2010年17回目の来日。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「マウリツィオ ポリーニ」の解説

マウリツィオ ポリーニ
Maurizio Pollini


1942.1.5 -
イタリアのピアノ奏者。
ミラノ生まれ。
ミラノ音楽院在学中の1958年、ジュネーブ国際コンクールで第2位、’60年のショパンコンクールで優勝、演奏家として名声を得る。一時演奏活動を停止して、ミケランジェリ、ルビンステインに師事する。’68年、ロンドンで再デビュー、戦後の世代を代表するピアノ奏者の一人として高く評価され、注目を集める。バッハなどの古典からブーレーズなどの現代音楽まで幅広いレパートリーを持ち、斬新な解釈などを特色とする。’74年初来日。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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