マウルブロン修道院(読み)マウルブロンシュウドウイン

デジタル大辞泉 「マウルブロン修道院」の意味・読み・例文・類語

マウルブロン‐しゅうどういん〔‐シウダウヰン〕【マウルブロン修道院】

Kloster Maulbronn》ドイツ南西部、バーデン‐ビュルテンベルク州の町、マウルブロンにある修道院シュトゥットガルト北西約25キロメートルに位置する。1147年に建造。同国最古のシトー派修道院として知られる。16世紀半ばにプロテスタント神学校になり、フリードリヒ=ヘルダーリンヘルマン=ヘッセらが学び、ヘッセ小説車輪の下」の舞台になった。1993年、世界遺産(文化遺産)に登録された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マウルブロン修道院」の意味・わかりやすい解説

マウルブロン修道院
マウルブロンしゅうどういん
Kloster Maulbronn

ドイツ南西部,バーデンウュルテンベルク州のザルツァハの谷にあるドイツ最初のシトー会修道院。 1147年修道士たちによって聖堂の建設が始められ,その後全長 850mの周壁を築き,その内側に鍛治場や製粉場,食堂など生活に必要な建物を建てた。聖堂はラテン十字形の平面に小型の塔を立てたロマネスク様式で,内装も簡素・厳格というシトー会の方針にそったものになっている。しかし 13世紀初めにつくられた聖堂の柱廊玄関ホールにはゴシック様式がみられ,ドイツにおけるゴシック様式の先駆となっている。また聖堂の天井も,創建当時の平天井から 1424年には網状穹窿に改築された。中庭に張り出した水場は「泉の礼拝堂」と呼ばれる。 1504年にウルリヒ・フォン・ウュルテンベルク公に接収されたのち,修道院は衰退し,1556年にはプロテスタントの神学校となった。ドイツ最大の詩人の一人である J.C.F.ヘルダーリーンや,文学者 H.ヘッセらが学んだ学校としても知られる。 1993年世界遺産の文化遺産に登録。

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世界の観光地名がわかる事典 「マウルブロン修道院」の解説

マウルブロンしゅうどういん【マウルブロン修道院】

ドイツ南西部のバーデンビュルテンベルク州の州都シュトゥットガルト(Stuttgart)北西約45kmに位置する、マウルブロン(Maulbronn)の町はずれにある同国最古の修道院。1147年にシトー派の修道院として建設された。当初ロマネスク様式で建設されたが、その後の増改築でゴシック様式を取り込んだ建物になった。マウルブロンは、この修道院のそばにできた村が起源である。中世の建築物の面影を色濃く残す修道院で、世界遺産になっている。礼拝堂などの宗教施設だけでなく、製パン所、家畜小屋、守衛小屋などの建物が残っている。この修道院は、16世紀半ばにはルター派の神学校になった。この学校で、天文学者のケプラー(Johannes Kepler、1571~1630年)やロマン派詩人・思想家のヘルダーリン(Johann Christian Friedrich Hölderlin、1770~1843年)やドイツの文豪として知られるヘッセ(Hermann Hesse、1877~1962年)などが学んでいる。ヘッセの小説『知と愛』はこの修道院を舞台にした小説で、『車輪の下』もマウルブロンを舞台にしている。

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百科事典マイペディア 「マウルブロン修道院」の意味・わかりやすい解説

マウルブロン修道院【マウルブロンしゅうどういん】

ドイツ南部,シュツットガルトの北西方のマウルブロンにあるシトー会修道院。1147年創建。壁に囲まれた中に,12−14世紀に建造された教会や修道士の食堂などが立ち,保存状態もよい。教会はロマネスク・ゴシック様式。宗教改革後の1538年には神学校が創設され,ここにヘルダーリンヘルマンヘッセなどが学んだ。ヘッセの小説《知と愛》はここが舞台となっている。1993年,世界文化遺産に登録。

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