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マダガスカル Madagascar

翻訳|Madagascar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マダガスカル
Madagascar

正式名称 マダガスカル共和国 République de Madagascar。マラガシー語では Repoblika Malagasy。
面積 58万7041km2
人口 2130万7000(2011推計)。
首都 アンタナナリボ

アフリカ大陸の南東約 300km,インド洋南西部にあるマダガスカル島およびいくつかの小島からなる国。モザンビーク海峡を挟んでモザンビークと向かい合う。6州からなる。 1500年ポルトガル人が渡来し,一部を領有。いくつかの部族王国が存立したが,うちメリナ王国が 18世紀に台頭,19世紀にはイギリスとフランスが領有権を争い,1885年フランス保護領,1896年フランス植民地となった。 1958年フランス共同体内の自治共和国として成立,1960年マラガシー共和国として独立。 1972年軍事政権が発足,1975年社会主義憲法を制定し国名をマダガスカル民主共和国に改称。その後経済の悪化に伴い,1991年に暫定政府が成立,1992年の国民投票で社会主義に終止符を打つ新憲法が承認され現国名に改称。古来,アフリカよりもアジアのマレー,インドネシア系,アラブ系との関係が深く,住民の大部分はマレー系のメリナ族,ベツィミサラカ族,アンテモロ族 (→マラガシー人 ) 。このほか中国人,インド人,コモロ人,フランス人が居住する。公用語はインドネシア語群に属するマラガシー語とフランス語。主産業は米作中心の農業で,ほかにバニラ,コーヒー,カカオ,サイザルアサ,クローブ,サトウキビなどを産する。バニラの産出量は世界有数。エビなどの漁業も盛ん。工業は農産物加工のほか,たばこ,マッチ,煉瓦などの日用品製造が主。クロム鉄鉱,黒鉛を産するが,生産量は不安定。また金雲母の唯一の生産国として知られる。貿易はコーヒー,バニラをはじめとする農産物の輸出と,工業製品の輸入が多く,フランスとの取り引きが中心。

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デジタル大辞泉の解説

マダガスカル(Madagascar)

アフリカ大陸の南東方、インド洋にある大島。中央を南北に高い山が連なる。動植物には固有種が多い。面積58.7万平方キロメートル。マラガシー。
マダガスカル島を占める共和国。首都アンタナナリボ。1960年にフランスから独立。コーヒー・バニラ・タバコなどを産出。住民はマレー系ホバ族が多い。人口2128万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

マダガスカル

◎正式名称−マダガスカル共和国Repoblikan'i Madagasikara/Republic of Madagascar。◎面積−58万7041km2

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デジタル大辞泉プラスの解説

マダガスカル

2005年製作のアメリカ映画。原題《Madagascar》。ドリームワークス製作のアニメーション・コメディ。監督:エリック・ダーネル、トム・マクグラス、声の出演:ベン・スティラー、クリス・ロック、デヴィッド・シュワイマー、ジェイダ・ピンケット・スミス、サシャ・バロン・コーエンほか。

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世界大百科事典 第2版の解説

マダガスカル【Madagascar】

正式名称=マダガスカル共和国République de Madagascar面積=58万7041km2人口(1996)=1367万人首都=アンタナナリボAntananarivo(日本との時差=-6時間)主要言語=マラガシ語,フランス語通貨=マダガスカル・フランFran Malgacheアフリカ大陸の南東方,モザンビーク海峡を間にインド洋上にある島国。マダガスカル島は世界4位の大きさで,〈大きな島〉と愛称されてきた。

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大辞林 第三版の解説

マダガスカル【Madagascar】

アフリカ大陸の南東方、インド洋にある南北に長い世界第四の大島。モザンビーク海峡で大陸と隔てられているため、動物相・植物相が異なり、キツネザル・タビビトノキなど、多くの珍種が発見されている。
マダガスカル島を占める共和国。1960年フランスから独立。コーヒー・バニラ・米・香料などを産出する。住民は主にマレー系・インドネシア系。首都アンタナナリボ。主要言語はフランス語とマダガスカル語。面積58万7千平方キロメートル。人口1860万( 2005)。別称、マラガシュ。正称、マダガスカル共和国。 〔「馬達加斯加」とも当てた〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マダガスカル
まだがすかる
Madagascar

アフリカ大陸の南東部から、モザンビーク海峡を隔てて392キロメートル東のインド洋にある島国。正称マダガスカル共和国Rpublique de Madagascar。世界第四の大島マダガスカル島と沿岸の小島からなる。面積58万7041平方キロメートル、人口1597万(2000推計)。首都はアンタナナリボ(旧称タナナリブ)。[林 晃史]

自然・地誌

マダガスカル島は南北に脊梁(せきりょう)山脈が走り、その東側は急傾斜でインド洋に落ち込み狭い東部海岸線をなす。一方、西側は緩い傾斜でモザンビーク海峡に延び、広い平野部を形成している。北部のアンチラナナ州には島の最高峰ツァラタナナ山(2886メートル)がある。北西部の平野は穀倉地帯、南西部の平野は米、綿花、タバコ、キャッサバの栽培が盛んである。南端部は鉱産資源が豊富であり、東部海岸線は暑く、コーヒー、バニラ、チョウジ、サトウキビの栽培に適し、最大の港タマタブ(トアマシナ)がある。中央高地は首都アンタナナリボを含む行政、文化の中心地である。気候は、東部、北西部の雨量の多い熱帯性気候、西部、南部の乾燥地域気候、中央高地の温帯気候と変化に富んでいる。[林 晃史]

動物相

アフリカ大陸からの距離は約400キロメートルと比較的近いが動物相は特異であり、動物地理学上はセイシェル諸島など隣接諸島とあわせて旧熱帯区のマダガスカル亜区として区分される。概して種類数は多くなく、東洋亜区(インド、東南アジア)よりはエチオピア亜区(アフリカ)に近いが、マダガスカル特産の動物群が多い。
 哺乳(ほにゅう)類は翼手(よくしゅ)類と人間が持ち込んだとみなされるものを除くと、食虫類、霊長類、齧歯(げっし)類、食肉類の4目だけが生息する。食虫目のテンレク科はマダガスカル特産で、ハリネズミに似た地上性の種、モグラに似た地中性の種、カワネズミに似た水生の種など約30種に適応放散している。霊長目は原猿類のキツネザル科、インドリ科、アイアイ科だけが生息し、齧歯目(キヌゲネズミ類)と食肉目(ジャコウネコ類)は固有のそれぞれ数属に分類される。
 鳥類ではマダガスカルモズ類やジカッコウ類が適応放散し、飛べない鳥のクイナモドキ科の特産種や絶滅した巨鳥のエピオルニスがよく知られている。その他の動物群にも特産種が多いが、淡水魚は一種も生息しない。
 かつて、マダガスカルの特異な動物相を説明するため、古代にアフリカとインドを結ぶレムリア大陸があったと想定されたが、現在では否定されている。[新妻昭夫]

植生

全般に乾燥していてマメ科(ジャケツイバラ亜科)やバオバブ類(アダンソニアAdansonia)などの樹木の疎生するサバンナの面積が広い。南部は乾燥が厳しく、ユーフォルビア、パキポディウムなどの多肉植物と、刺(とげ)植物の低木群落で占められる。島の東部寄りには南北に走る山地があり、ここではやや雨量が多く、密集した雨緑林がみられる。山頂部は硬葉樹の低木林、あるいはツツジ科のヒース状の群落となっている。種類相は、アフリカ中部、およびインド西部からサハラにかける地域と類縁をもつが、総種数の85%が固有種で、ディディエレア科など五つの固有の科がある。マダガスカルの植生は独立性が高く、セイシェル島などとともに旧熱帯植物区系界のなかにマダガスカル区系区としてまとめられる。[大場達之]

歴史

マダガスカルの先住民は東南アジア出身で、アフリカ大陸の東海岸に移住したのち、10世紀ごろマダガスカル島に移住したといわれる。そして17世紀初頭、中央高地にアンドリアナ王国(後のメリナ王国)を建設した。王国はアンドリアナ王家と貴族階級(ホバ)、奴隷(アンデボ)からなる中央集権的王国であり、王都はアンタナナリボに置かれた。ヨーロッパ人の渡来は1500年のポルトガル人が最初で、オランダ、イギリス、フランスがこれに次いだ。
 19世紀初頭にイギリスとフランスの宣教師による布教活動が始まり、1862年に両国の領事館が置かれた。69年ラナバロナ2世がキリスト教(プロテスタント)に改宗し国教として以降、キリスト教は全土に広がった。アフリカ分割を決めた1885年のベルリン会議の結果フランス領となったが、カトリック国フランスの支配に対しプロテスタントのマダガスカル人は反抗し、95年フランスは武力を用いて制圧した。しかし植民地化以後もマダガスカル人の反抗は続いた。1896年のメナラムバの反乱、1904年の反乱が鎮圧されたのち、13年には民族運動組織「ビ・バト・サケリカ」(「鉄と石」の意)を結成しフランスの支配に抵抗した。
 第二次世界大戦中に植民地政府がフランスのビシー政府を支持したため、1942年イギリス軍は日本軍の侵攻に備えることを口実にマダガスカルを占領した。翌43年イギリスはマダガスカルをドゴールの自由フランス政府に引き渡した。47年3月、フランス支配に対しマダガスカル革命民主運動(1946結成、党首ラセタ)の指導による大規模な抵抗が起こり、多数の犠牲者を出して鎮圧された。56年フランスは基本法を制定して植民地に対し大幅な自治を認めた。同年P・チラナナは社会民主党(PSD)を結成し、フランス議会のマダガスカル代表議員となった。58年フランスの第五共和政移行とともにドゴールがフランス共同体構想を打ち出したため、同年10月マダガスカルは同共同体内の自治国となり、60年6月26日フランスから正式に独立してチラナナが初代大統領となった。
 独立後、チラナナは親西欧(とくにフランス)政策をとった。1961年には旧フランス領12か国の元首がアンタナナリボに集まって経済、社会面での協力を目的とするアフリカ・マダガスカル連合(のちアフリカ・マダガスカル共同機構OCAM)を結成するのに重要な役割を果たした。さらに人種主義の南アフリカ共和国とも友好関係を保った。72年5月、チラナナの政策に反対する学生のストライキに対する弾圧を契機に、軍隊がクーデターを起こしラマナンツォア少将が政権を握った。[林 晃史]

政治・外交

ラマナンツォアは国家資本主義を標榜(ひょうぼう)し、議会にかわって人民国家開発評議会(CNPD)を置いた。同評議会は1973年フランス軍の撤退を要求し、南アフリカ共和国との関係を断ち、かわりにソ連、東欧と外交関係を樹立した。同時にOCAMおよびフラン圏からも脱退した。75年2月軍内部の権力抗争によってラチマンドラバ大佐がラマナンツォアにかわって政権を掌握したが、6日後に暗殺され、アンドリアマハゾ将軍が全権を掌握して軍評議会を設置した。同年6月軍評議会は国家元首として新たに元外相ラチラカを任命した。ラチラカは同年12月新憲法を制定するとともに軍評議会を解散し、かわって以下の諸機構を設置した。(1)ラチラカを議長とする最高革命評議会、(2)行政府の最高機関として首相を長とする政府、(3)立法府として人民国民議会、(4)司法府として立憲最高裁判所、(5)国防・社会経済開発計画諮問機関として軍事開発委員会の五つである。さらに国家建設の方向として社会主義路線を主唱し、その基盤は政府の奨励する農村共同体(フォコノローナ)にあるとした。
 外交面ではラチラカは共産圏よりのラマナンツォア路線を継承したが、1978年9月のフランス公式訪問ののち対仏関係は修復された。そのほか国連、アフリカ統一機構(現アフリカ連合)にも加盟し、EC(ヨーロッパ共同体)との第二次ロメ協定にも調印した。
 一方、主要産業を国有化したため経済が停滞し、失業者の増加、インフレの激化を招いた。そのため1980年代には、クーデター未遂事件、労働者のストライキ、学生の抗議行動、インド人商店の焼打ちなどが頻発した。この危機を打開するためラチラカはIMF(国際通貨基金)の支援を得て経済自由化政策をとり始めた。
 1991年12月、反ラチラカ、反社会主義を要求して国家最高機関総裁ザフィと首相ラザナマシによる挙国一致内閣が成立した。同内閣は92年に改憲国民投票、大統領・国民議会選挙を実施することを約束した。その約束に従い、同年8月改憲国民投票が実施され、社会主義路線の放棄、複数政党制下の大統領、国民議会選挙が約束され、11月の大統領選挙でザフィが新大統領に就任した。
 しかし、その後ザフィ政権の統治能力、経済自由化政策に対する国民の不満が高まり、1996年5月に内閣不信任案が可決され、同年12月に実施された大統領選挙の決選投票でラチラカは50.7%の得票率で大統領に返り咲いた。2001年12月に行われた大統領選はラチラカとアンタナナリボ市長のラバロマナナで争われたが、開票の結果、両者ともに過半数に至らず、決選投票を行うことになった。しかしこの開票結果に対して、不正が行われたとして2002年2月にラバロマナナが大統領当選を宣言し、2人の大統領が存在するという異常事態となった。それぞれの大統領を支持する軍どうしが衝突するなど混乱をきわめたが、7月にラチラカは家族とともにセイシェルに脱出し、ラバロマナナの勝利で対立は終結した。
 軍隊は、陸軍約2万人、海軍600人、空軍500人で、空軍は1978年以降ソ連と北朝鮮の援助を受けていたため、ミグ21型戦闘機8機を有する。[林 晃史]

経済・産業

マダガスカルは農業立国であり、国内総生産(GDP)に占める農業の割合は約40%、全就業人口の約80%が農業に従事している。主要農産物は米、サトウキビ、コーヒー、バニラ、チョウジ、コショウ、綿花、サイザル麻、豆類、ラッカセイ、タバコである。さらに独立以降、東部海岸でパーム油と茶の栽培が進められている。フランス人によって経営されていたコーヒーやサトウキビのプランテーションは1977年国有化された。
 鉱産資源も豊富で、主要鉱産物として黒鉛、雲母(うんも)、クロム、ボーキサイト、ウランなどのほかアメシ(ジ)スト、ガーネットなどの宝石も産出する。ただしこれらの鉱産物採掘はほとんど外資系企業により行われている。近年石油探査がアメリカ、フランス、イタリアによって行われている。また北西部のソアララで鉄鉱脈が発見された。
 製造工業は未発達で、工業製品は国外からの輸入に依存している。わずかにある工業は農産物加工がほとんどで、その他の工業にセメント、紙、パルプ、石油精製、製靴、マッチ、化学肥料、プラスチック加工、自動車組立て、トランジスタ・ラジオ組立てなどがあり、そのほとんどは首都アンタナナリボのほか、アンチシラバ、マジュンガ、ディエゴ・スアレス(アンチラナナ)、タマタブ(トアマシナ)に集中している。カナダ、イラク、フランスの協力でアンデカレラ水力発電所が建設中である。
 主要輸出品は農・鉱産物の一次産品で、機械、輸送器機、工業品、食糧、石油が輸入の大半を占める。貿易相手国はフランス、アメリカ、ドイツ、日本など、恒常的な入超で赤字が続いている。
 交通は首都を中心とする脊梁(せきりょう)山脈部と北西海岸部を中心に全長約5万キロの道路があるが、東海岸部は未発達である。現在道路延長計画に世界銀行、中国、クウェート、アフリカ開発銀行が援助している。鉄道はタマタブ―アンタナナリボ―アンチシラバ間とフィアナランツォア―マナカラ間のものが主要路線で、西海岸へ通ずるものはない。主要港は東海岸のタマタブである。国際航空便はフランス航空、イタリア航空で、マダガスカル航空はおもに国内各地を結んでいる。
 ラチラカ政権は1975年以来社会主義統制経済を進めたが失敗し、83年以降、IMF(国際通貨基金)、世界銀行の支援で構造調整計画(SAP)を実施した結果、89年には経済成長率4%となり、経済は回復した。しかし、91年以降の政情不安定と94年の大型サイクロン(台風)の被害により経済はふたたび低迷している。[林 晃史]

社会・文化

1993年実施のセンサスによる人口約1350万のうち、ヨーロッパ人(主としてフランス人)3万人、インド人1万5000人、中国人9000人を含む。インド人、中国人はおもに商業に従事している。マレー・ポリネシア系のマダガスカル語が公用語となっているが、フランス語、英語も学校で教えられている。1人当りの国民総所得(GNI)は250ドル(2000)と低い。経済活動人口の80%以上は農業に従事しており、サービス産業就業者が10%、工業労働者はわずか4%である。
 教育制度はフランス式で、6~14歳が小学生で義務教育にあたり、小学校は公立・私立含めて1万3672校、生徒数は約153万4142人。中学校は1142校、高等学校は366校、大学は6校ある(1994)。
 メリナ王朝のラナバロナ2世がキリスト教に改宗して以来プロテスタントが全土に広まったが、その後フランスの植民地化を通してカトリックも広がり、現在カトリック教徒は26%、プロテスタント教徒22%である。マダガスカルはアフリカ大陸南部の島でありながら、ほかのブラック・アフリカ諸国と異なり、マレー・ポリネシア系の独特の民族構成と稲作に代表される独自の文化をもっている。[林 晃史]

住民

マダガスカルには多くの民族が住んでいて、各方言に分かれるが、マダガスカル(マラガシー)語とよびうる一つの共通言語を話す。これはオーストロネシア語族に分類され、文化的にも東南アジアとの関連が顕著である。身体的にも東南アジアとのつながりが認められ、とくに中部および東部の住民はインドネシアの諸民族に似ている。サカラバ、ベゾ、アンタンドロイなどの文化は東南アジア系であるが、ウシを重視し王族祖先崇拝の儀礼をもつなど東アフリカの文化の影響がある。一方、黒人系のタナラやベツィミサラカの文化はアフリカとのつながりが認められない。
 マダガスカルの諸民族は居住地域および生態環境の面から三つの集団に大別することができる。西海岸と南部の諸民族は乾燥した牧草地に住んでいて農耕と牧畜の混合経済を営む。代表はサカラバで、15世紀以降強大な王国を建設した。中部高原にはメリナとベツィレオが住んでおり、灌漑(かんがい)稲作を行う。墓が生活のなかで重要な位置を占め家族の象徴でもある。東海岸の森林地帯に住む諸民族は陸稲やバナナ、トウモロコシを栽培し漁労も行う。この地域ではタナラがよく知られているが、タナラというのは「森の人」という意味で多くの民族集団を含む。マダガスカル全域でイスラム教アラブとスワヒリ文化の影響が強い。アラブ人は8世紀ころから交易場を設立していたと考えられる。[加藤 泰]
『外務省監修『世界各国便覧叢書47 マダガスカル共和国・モーリシアス』(1973・日本国際問題研究所) ▽ユベール・デシャン著、木村正明訳『マダガスカル』(1989・白水社) ▽山口洋一著『マダガスカル―アフリカに一番近いアジアの国』(1991・サイマル出版会)』

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