マッカーサー ダグラス(英語表記)MacArthur Douglas

20世紀日本人名事典 「マッカーサー ダグラス」の解説

マッカーサー ダグラス
MacArthur Douglas

07の軍人 米国陸軍元帥;元・日本占領連合国軍最高司令官。



国籍
アメリカ

生年
1880年1月26日

没年
1964年4月5日

出生地
アーカンソー州リトルロック

学歴〔年〕
米国陸軍士官学校〔’03年〕卒

経歴
1905年日露戦争観戦武官となった父の副官として来日。第一次大戦には参謀長として参戦。帰国後、’19年から陸軍士官学校校長、’28年からフィリピンで勤務後、’30年陸軍参謀総長(最年少)に就任。’35年にはフィリピン国軍創設のため軍事顧問としてマニラ赴任。米比統合軍最高司令官などを経て、’41年在比米極東陸軍司令官に任命された。が、太平洋戦争の緒戦で日本軍に敗れたため、’42年3月「アイ・シャル・リターン」と言い残して豪州に脱出。同年7月西南太平洋連合軍総司令官として反攻に転じ、’44年9月フィリピンのレイテ島上陸、12月に元帥となり、’45年2月マニラを解放。日本降伏直後の’45年8月30日、日本占領連合国軍最高司令官(SCAP)、米国極東軍最高司令官として厚木飛行場に進駐した。以後約6年間、日本の支配者となりGHQ(総司令部)を通して数々の占領政策を実施した。その間、’50年6月の朝鮮動乱勃発後は国連軍司令官を兼務したが、戦争拡大を主張してトルーマン大統領と対立、’51年4月には極東におけるすべての要職を解任された。帰国後は、米議会で「老兵は死なず、消えゆくのみ」の名セリフを残し、大統領選出馬の野心は果たさず、レミントン・ランド社会長で終わった。著書に「マッカーサー回想記」など。バージニア州ノーフォークにマッカーサー記念館がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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