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マヌエル[2世] Manouēl II Palaiologos

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世界大百科事典 第2版の解説

マヌエル[2世]【Manouēl II Palaiologos】

1350‐1425
ビザンティン帝国の皇帝。在位1391‐1425年。1373年から父帝ヨハネス5世の共同皇帝。帝国は1370年以来オスマントルコの支配下に入っていた。これを断ち切るため皇帝は西欧から軍事援助を得ようと試みたが失敗。ミストラでは哲人プレトンを中心として文芸復興運動も起きたが,ニコポリスの戦(1396)でキリスト教諸国が敗れると,ティムールアナトリア侵入により一時オスマン・トルコの包囲が柔らいだ時もあったが,その重圧は増大する傾向にあった。

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世界大百科事典内のマヌエル[2世]の言及

【フィレンツェ公会議】より

…しかし,14世紀末オスマン・トルコの圧力が強まるにつれて,ビザンティン帝国は西方から軍事援助を得る前提として,教会統一問題の解決に迫られた。マヌエル2世が1399‐1403年,軍事援助を求めてイタリア諸都市(ただしローマ入りせず),パリ,ロンドンを歴訪したが失敗に終わった後,1414年コンスタンツ公会議が開かれるや,神聖ローマ帝国の皇帝ジギスムントの招きに応じてクリュソロラスを派遣した。17年,同会議で教皇に選ばれたマルティヌス5世のもとで,両教会の接触が本格化し,統一のための新たな公会議について折衝が続いた。…

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