マリ(国)(読み)まり(英語表記)Republic of Mali 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリ(国)」の意味・わかりやすい解説

マリ(国)
まり
Republic of Mali 英語
République du Mali フランス語

西アフリカ内陸部の国。正式名称はマリ共和国République du Mali。スーダン地方西部にある乾燥内陸国で、北はアルジェリア、東はニジェール、南はブルキナ・ファソコートジボワール、ギニア、西はセネガルモーリタニアと接している。国名は、13~15世紀西アフリカに栄えたマリ帝国に由来する。面積は124万0192平方キロメートルとアフリカでも広い国の一つだが、サハラ砂漠部分が広い面積を占め、人口1221万4000(2006推計)、1452万8662(2009センサス)の大半は、ニジェール、セネガル両川流域と、南部のサバナ地域に居住する。古くから北アフリカ、スーダン地方、ギニア湾岸地域を結ぶ交易の中心地として栄えたが、近世以降衰微し、1960年代以後のたび重なる干魃(かんばつ)でも大きな被害を受けた。首都はバマコ(人口181万0366、2009センサス)。

[藤井宏志]

自然

国土は全体として標高300~400メートルの台地と盆地からなる単純な地形を示す。例外的な高地は、北東のイフォラ山地、ギニア国境のフータ・ジャロン山地、そしてブルキナ・ファソ国境に近いドゴン高原の3か所である。このうちドゴン高原は壮大な断崖(だんがい)に囲まれており、独自のドゴン民俗文化を保持してきた。河川は南西端から中東部にかけてニジェール川の中・上流部1500キロメートルが貫流し、西部をセネガル川上流部100キロメートルが流れている。ニジェール川のセグー―トンブクトゥ間には、巨大な網流地帯を有する内陸デルタがあり、マシナ大湿原とよばれている。トンブクトゥとニジェール川河岸のジェンネ旧市街ユネスコの世界遺産に登録されている。国の北半は不毛の砂漠地域であるが、南部のサバナ地域も表土が固いラテライト皮殻(キラス)に覆われ、農耕の障害となっている。

 気候は、北部が砂漠気候、中部がステップ気候、南部がサバナ気候と、緯度により明確に分かれている。いずれも夏が雨期、冬が乾期であるが、砂漠地域の降水量はきわめて少なく、ステップ地域も近年しばしば大干魃(かんばつ)にみまわれている。これに対してサバナ地域では年間700~1100ミリメートルの降水量がある。気温は夏は全体に高温で、とくに砂漠地域では日中40℃を超える。冬はかなり涼しくなり、12月にはサバナで20℃、砂漠で10℃以下になることがある。また冬はサハラ砂漠からの北東風の砂嵐(すなあらし)ハルマッタンが吹き荒れるのも特徴である。

[藤井宏志]

歴史

主としてマリの領土となっているニジェール川上・中流域は、古くから北、西アフリカ交易の十字路で、この地域を中心に西アフリカ史上重要な大国が興亡した。2010年時点で明らかにされているもっとも古い王国はガーナ帝国で、9世紀から栄えたとされている。13世紀から発展したマリ帝国は、西アフリカ一帯を支配して金、塩の交易で繁栄した。その栄華はヨーロッパにも知られ、トンブクトゥはイスラム教(イスラーム)と学術の中心地であった。続いて15世紀に興ったソンガイ帝国も広い範囲に勢力を伸ばしたが、16世紀末モロッコの侵入を受けて崩壊し、その後は小国が乱立する群雄割拠の時代となった。18世紀後半からはマンゴ・パークやルネ・カイエRené Caillié(1799―1838)などヨーロッパ人探検家が来訪するようになり、19世紀後半セネガルから内陸に進撃してきたフランス軍により、この地域はフランス領スーダンとして植民地化された。フランス領スーダンはその後セネガルと併合されたり、領土の一部がフランス領ギニアに編入されたりなどしたが、1920年領域が確定し、フランス領西アフリカ連邦の一員となった。

 第二次世界大戦後、独立運動が盛り上がり、1960年6月セネガルとともにマリ連邦として、いったん独立を達成した。しかし同年8月セネガルが連邦を離脱したため、9月単独のマリ共和国となった。初代大統領モディボ・ケイタは8年間政権を担当したが、社会主義政策が成果をあげず、経済は苦境に陥った。このため1968年軍事クーデターが起き、ムッサ・トラオレMoussa Traoré(1936―2020)を議長とする民族解放委員会が政権を握り、以後10年間軍政が続いた。1979年民政に移管し、トラオレが大統領選に出馬して当選し、第2代大統領に就任した。

[藤井宏志]

政治

1974年の民政移管で大統領となったトラオレは、1991年3月、中佐トゥーレAmadou Toumani Touré(1948―2020)によるクーデターで逮捕され、マリ人民民主同盟(UDPM)の一党独裁は終わった。同年4月、複数政党制と直接選挙を定めた新憲法が国民投票で成立した。1992年3月議会選挙が行われ、マリ民主同盟(ADEMA)が多数を占め、翌月の大統領選挙でADEMA党首のコナレAlpha Oumar Konaré(1946― )が当選した。1995年、北東部イフォラ山地のベルベル系遊牧民トゥアレグの独立を要求するゲリラ活動があったが、1996年コナレと和解、反政府活動は収まった。1997年5月コナレ再選。コナレの任期満了に伴い、2002年5月に行われた大統領選挙ではトゥーレが当選、6月に就任した。トゥーレは2007年11月の大統領選挙で再選された。

 外交は非同盟中立であるが、旧宗主国フランスとの関係が緊密である。地方行政は、八つの地方行政区からなる。司法は地方裁判所のほか、バマコに最高裁判所、特別控訴院がある。軍は徴兵制(2年)で、総兵力7350人、陸軍6900人、海軍50人、空軍400人(2009)である。

[藤井宏志]

経済・産業

かつてはアラブ世界とのサハラ縦断交易で繁栄したが、ヨーロッパとの海を通じての接触に重点が移ると、内陸にあることから開発に後れをとった。現在も農牧業に有利な商品がなく、工業化も遅れており、1人当り国民総所得は580ドル(2008)ときわめて低い。社会主義政策の失敗から、1982年、23の国営企業は10に整理された。また1964年以降西アフリカ通貨同盟から離脱していたが、1984年復帰した。1990年代に入り、IMF(国際通貨基金)・世界銀行の構造調整計画を受け入れた。

 農牧業は就業人口の40%(2004)が従事する基幹産業であるが、乾燥地域が広く灌漑(かんがい)も不十分なことから収量は低い。近年の干魃(かんばつ)と人口増もあって主食用作物(トウモロコシ、アワ、米など)をはじめ食糧は不足しており、外国の援助を受けている。商品作物にはニジェール川流域で栽培される綿花、セネガル河谷地域のラッカセイなどがあり、ギニア湾岸諸国向けの家畜とともに重要な輸出品となっている。おもな農産物の生産高はアワ118万トン(2006)、ラッカセイ32万トン、米108万トン、トウモロコシ90万トン、綿花7万6000トン、綿実(めんじつ)18万トン。家畜の頭数はウシ84万頭、ウマ10万頭、ロバ738万頭、ヒツジ887万頭、ヤギ967万頭、ラクダ96万頭、ニワトリ3300万羽である。

 農牧業以外の産業ではニジェール、セネガル両川の淡水漁業が重要である。モプティ、セグー、ガオを中心に10万トンの漁獲をあげ、干し魚が輸出されている。鉱産資源は、サハラ砂漠のタウデニで古くから岩塩を産するほか、セネガル川流域に石灰石、大理石、鉄鉱石、セグーにボーキサイトがあり、開発が進められている。近年、日本によるイフォラ山地のウラン鉱探査など、外国資本による資源調査が活発に行われ、金、リン鉱石の産出が多い。工業は、ラッカセイ油、綿花処理、タバコ、製糖など農産物加工が中心で、ほかにはセメント、ビールの工場がある。

 貿易は、農畜産物を輸出し、石油、工業製品を輸入する典型的な非産油途上国型の貿易構造を示し、貿易収支は慢性的に大幅な輸入超過である。現在でも旧宗主国フランスとの関係が強い。主要輸出品目(2007)は、綿花(13.8%)、家畜(5.4%)、一般機械(1.0%)、ラッカセイ、干し魚。主要輸入品目は、石油製品(21.5%)、機械・車両(10.2%)、電気機械、化学製品。主要輸出相手国は、南アフリカ(67.1%)、スイス、セネガル、コートジボワール、主要輸入相手国は、セネガル(19.8%)、フランス、コートジボワール、中国、ベナンである。

 交通網のうち道路は総延長1万8000キロメートル(1992)だが、雨期にも使えるのは半分にしかすぎない。バマコとガオを結ぶ幹線道路も未整備なため飛行機が利用されることが多い。鉄道はセネガルのダカールからバマコの外港のクリコロまで通じている。空路は空港が10あり、うちバマコとモプティは国際空港で、パリ、ダカール、コートジボワールのアビジャンなどと結んでいる。ニジェール川は水上交通路として利用され、バマコとガオ間には汽船が定期運航されている。

[藤井宏志]

社会・文化

古くから交通の十字路であったため多数の部族が住む。主要部族は遊牧・牧畜民と農耕民に大別される。遊牧・牧畜民には、サハラ砂漠のオアシスを中心に遊牧するトゥアレグ、モールと、内陸デルタで牧畜を行うフルベ(フラニ、プール)がいる。農耕民は、モーリタニアに近い北西部のサラコレ、トンブクトゥからガオにかけてのソンガイ、南東部ドゴン高原のドゴン、バマコからセグーにかけてのバンバラ、西部のカソンケ、トクルール、マリンケ、南部のセヌフォ、ボボである。このうちバンバラが33%といちばん多く、フルベ、セヌフォ、サラコレがそれぞれ10%でこれに次ぐ。各部族には独自の伝統文化がある。なかでもドゴンは特異な神話と二元論的宇宙観、世界観をもち、仮面ダンスが世界芸術祭で大賞を得たことで知られる。公用語はフランス語で学校教育にも使用されているが、日常生活には部族語が用いられている。そのうちバンバラ語は広く通用し、アルファベット化も進められている。宗教は、人口の65%がイスラム教徒(ムスリム=イスラーム信者)で、30%が伝統宗教を信じ、キリスト教徒は5%である。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産として前出の「ジェンネ旧市街」「トンブクトゥ」のほかに、「アスキア墳墓」(以上、世界文化遺産。すべて危機遺産リスト入り)「バンディアガラの断崖(ドゴン人の地)」(世界複合遺産)が登録されている。

 人口の年平均増加率は2.4%(2000~2005)で、近年は都市へ集中する傾向にある。またセネガル、コートジボワールに35万人、フランスに2万人の労働移民者が出ている。医療水準は低く、総合病院はバマコにしかない。教育は小学校、中学校、リセ(後期中等教育の高校にあたる)の上に、高等師範、技術専門学校などがあるが、総合大学はなく、大学進学者は海外に留学する。小学校の就学率は80%(2006)である。識字率向上のため全国に1300以上の教育センターが設置されているが、成人識字率はまだ男34.9%、女18.2%(2007)である。

[藤井宏志]

日本との関係

マリにとって日本は重要な貿易相手国で、2008年(平成20)の対日輸出はゴム手袋、打楽器、トカゲ、装飾品を中心に2166万円、対日輸入は米(24.6%)、タイヤ、自動車、一般機械、鉄鋼を中心に7億8468万円であった。1975年日本の動力炉・核燃料開発事業団(のちの核燃料サイクル開発機構、現・日本原子力研究開発機構)が、北部のウラン探鉱でマリ政府との協定に調印、マリのウラン鉱開発は日本の独占となった。経済協力として日本は食糧援助、地下水開発、砂漠化防止などを行っている。

[藤井宏志]

『ケイタ慎子著『マリ共和国・花嫁日記』(1980・徳間書店)』『中村弘光著『アフリカ現代史Ⅳ 西アフリカ』(1982・山川出版社)』『川田順造編『ニジェール川 大湾曲部の自然と文化』(1997・東京大学出版会)』『岩田拓夫著『アフリカの民主化移行と市民社会論』(2004・国際書院)』『岩田拓夫著『アフリカの地方分権化と政治変容』(2010・晃洋書房)』


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百科事典マイペディア 「マリ(国)」の意味・わかりやすい解説

マリ(国)【マリ】

◎正式名称−マリ共和国Republic of Mali。◎面積−124万8574km2。◎人口−1332万人(2010)。◎首都−バマコBamako(181万人,2009)。◎住民−マンデ系50%,フルベ(フラニ,プール)人18%,ボルタ系17%,トゥアレグ人,ソンガイ人,ドゴン人など。◎宗教−イスラム80%,土着宗教。◎言語−バンバラ語,フルフルデ(フルベ)語,ソンガイ語,タマシェク語(以上,国語),フランス語(公用語)。◎通貨−CFA(アフリカ金融共同体)フラン。◎元首−大統領,イブラヒム・ブバカール・ケイタIbrahim Boubacar Keita(2013年8月選出,任期5年)。◎首相−モディボ・ケイタ Modibo KEITA。◎憲法−1992年1月制定,1997年1月改正。◎国会−一院制(定員147,任期5年)(2015)。◎GDP−87億ドル(2008)。◎1人当りGNI−440ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−79.3%(2003)。◎平均寿命−男55.1歳,女54.9歳(2013)。◎乳児死亡率−99‰(2010)。◎識字率−26%(2006)。    *    *西アフリカの共和国。北はアルジェリア,東はニジェール,西はモーリタニアなどに囲まれる内陸国で,北部はサハラ砂漠に続く乾燥地帯サヘルニジェール川が北東流して,中央部に湿原を形成するが,全体としては高温,乾燥気候。北部で羊,ヤギ,牛の牧畜が行われ,ニジェール川流域では灌漑(かんがい)による農業が行われる。モロコシ類,ラッカセイ,米を主産。ニジェール川を中心とする漁業も重要。鉱物資源では金が輸出の上位を占め,ウラン,ダイヤモンドなどが有望視されている。しかし1970年代以降何度も襲った大干ばつがマリ経済に与えた打撃は測り知れず,国民生活は窮乏化している。古くはガーナ王国マリ帝国などがサハラ縦断交易によって栄えた地で,19世紀末からフランスが進出,1892年フランス領スーダンとなった。1958年フランス共同体内の自治国となり,1960年6月セネガルとともにマリ連邦として独立,同年8月セネガルが分離したため単独の共和国となった。独立後,ケイタ大統領が社会主義政策を実施したが,1968年トラオレ中尉のクーデタで追放された。1979年トラオレは第2代大統領となり,民政に移管した。1991年トラオレは軍事クーデタで失脚し,1992年の大統領選挙でコナレが当選,再び民政に復帰した。この間1990年以降,隣国ニジェールとマリで自治を求めるトゥアレグ族(ベルベル系遊牧民)の運動が展開されてきた。2002年の大統領選挙でトゥーレ元人民救済暫定委員会議長が当選した(2007年4月再選)。2011年リビア情勢の変化でリビアから帰国したトゥアレグ族兵士らの独立運動によってマリ北部の治安が悪化,初期段階で国軍が出動したが,武装集団の勢いは収まらず,2012年3月作戦に不満を持つ一部国軍兵士によって首都バマコで騒乱状態が発生し,トゥーレ大統領は辞任(セネガルへ出国),憲法の規定に従って,トラオレ国民議会議長が暫定大統領に就任した。さらに北部のアザワドを中心にイスラム国家の樹立をめざしてAQIMをはじめアンサール・ディーンなどのイスラム武装勢力が結集し,イスラム過激派はトァレグ族組織を打倒して,アサワド地域は事実上彼らの手中に落ち,マリ北部三州が制圧される事態となった。アルジェリアなど隣接するアフリカ諸国はマリ軍を支援,2012年11月暫定政権の要請を受け,フランス軍が軍事介入してアサワド地域に攻撃を開始し,イスラム武装勢力の掃討に乗り出した。こうしたなか,2013年1月,アルジェリアのイナメナス近郊の天然ガス精製プラントを,アル・カーイダ系武装集団のイスラム聖戦士結盟団(モフタール・ベルモフタールが指導者)が襲撃,多数の外国人労働者が死傷するという事件が発生,マリ北部地域にもイスラム過激派組織が勢力を伸張した。これに対して,フランス軍に加え,西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)諸国を中心としたアフリカ主導マリ国際支援ミッション(AFISMA)も展開し,マリ暫定政府は北部地域を奪還。マリ暫定政府は北部武装勢力との間で大統領選挙の実施について合意にこぎ着けた。7月及び8月に概ね平和裡に全土で大統領選挙が実施(投票率は過去最高を記録)され,ケイタ大統領が選出された。さらに11月及び12月には,新政権の下でも国民議会選挙が平和な状況で実施された。現政権の優先事項の一つは,南北和平交渉締結による国民和解であり,平行して人道状況の悪化が続く北部地域の安定への取り組みが重要課題となっている。
→関連項目ジェンネマリ語

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