マリー・ド・メディシス(読み)まりーどめでぃしす

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリー・ド・メディシス」の意味・わかりやすい解説

マリー・ド・メディシス
まりーどめでぃしす

マリ・ド・メディシス

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のマリー・ド・メディシスの言及

【アンリ[4世]】より

…また,1604年には売官制を確立したポーレット法を発布したが,これは新興のブルジョアジーに法服貴族として出世する道を開き,結果的に貴族身分による行政機構の独占を打破することによって,王権の強化に大きな役割を果たすことになる。こうして絶対王政の基礎を築く一方,1600年にはマリー・ド・メディシスと再婚,翌年王太子ルイを得た。04年,セーヌ川最初の石橋ポン・ヌフも完成,治世は繁栄に向かうと見えたが,旧教徒ラバイヤックF.Ravaillacによって暗殺された。…

【摂政】より

…ブルボン朝になってからは,アンリ4世が出征に際し王妃を摂政に任じたことがあり,ルイ13世,ルイ14世,ルイ15世はいずれも摂政時代を経験している。すなわち,ルイ13世幼時の母后マリー・ド・メディシス(1610‐14),ルイ14世幼年期の母后アンヌ・ドートリシュ(1643‐51),ルイ15世治世初期のオルレアン公フィリップ3世(ルイ14世の甥。1715‐23)がそれである。…

【リュクサンブール宮殿】より

…パリ市内セーヌ左岸にある17世紀初頭建設の宮殿。フィレンツェのメディチ家からアンリ4世に嫁いだマリー・ド・メディシスが,故郷のパラッツォ・ピッティを模して建立したもの。設計はS.deブロスで,彼はフランス・ルネサンスの城館の平面を適用してそこにルスティカ仕上げの3層の宮殿を計画し,1615年に礎石が打たれた。…

※「マリー・ド・メディシス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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