マルティヌス[5世](読み)まるてぃぬす

世界大百科事典(旧版)内のマルティヌス[5世]の言及

【コンスタンツ公会議】より

…もう1人の教皇グレゴリウス12世は同年7月4日自立的退位を公会議に通告したが,残る教皇ベネディクトゥス13世は皇帝がみずから説得に当たったにもかかわらず退位を拒否したので,17年7月26日の会議で廃位を宣告された。公会議は新教皇にローマの名門出の枢機卿コロンナOddo Colonnaをマルティヌス5世として選んだ。それにより長期にわたった教会分裂は終わり,公会議は所期の主要目的を達成した。…

【シスマ】より

…たびたびの軍事行動をも伴った双方の教皇たちのこの対立は各国の政治的利害が複雑に絡み合って深刻化し,これを解決しようとした1409年のピサ教会会議はアレクサンデル5世Alexander Vを新教皇に選んだ。しかし,かえって3人の教皇を鼎立(ていりつ)させる結果に終わって失敗し,ようやくコンスタンツ公会議による2教皇の廃位と1教皇の自主退位,新教皇マルティヌス5世Martinus Vの選出によって解決を見た。なお,東西関係ではアカキオスのシスマ(484‐519)やフォティオスのシスマ(858‐886)が著名であるが,1054年から現代まで続いている東方正教会とローマ教会とのシスマがとくに注目される。…

【バーゼル公会議】より

…教皇マルティヌス5世Martinus Vによって1431‐39年スイスのバーゼルに召集・開催された公会議。東西教会の合同とフス派戦争の終結を目的とした。…

【ローマ[市]】より

…77年グレゴリウス11世はアビニョンからローマに戻ったが,1417年のシスマ(教会の分裂)解消のときまで,ローマにおいては貴族の対立,さらにはナポリ王の干渉が続いた。
[ルネサンス期のローマ]
 1417年,コロンナ家出身のマルティヌス5世が,コンスタンツ公会議において教皇に選ばれ,宗教上の権威のみでなく世俗的勢力の拡張に努めた。以後,ローマの主要貴族のみでなく,イタリアの政治的有力者の関心は教会勢力と対立することではなく,一族の中から枢機卿や教皇を出して,教会勢力との結びつきを強めることにあった。…

※「マルティヌス[5世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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