マーカット ウィリアム(英語表記)Marquat William Frederic

20世紀日本人名事典 「マーカット ウィリアム」の解説

マーカット ウィリアム
Marquat William Frederic

07の軍人 元・GHQ経済科学局長。



国籍
アメリカ

生年
1894年3月17日

没年
1960年5月29日

出生地
ミズーリ州セントルイス

学歴〔年〕
沿岸砲術学校〔’26年〕卒,指揮幕僚学校〔’33年〕卒

経歴
シアトルの高校卒業後、1913年新聞記者となり、第1次大戦に参戦。’19〜20年「シアトル・タイムズ」の自動車担当論説委員。’20年陸軍に入り、以後職業軍人の道を歩み、第2次大戦中は常にマッカーサー米極東軍司令官と行動を共にしてマニラ・バターン会戦、コレヒドール会戦を転戦、マッカーサー側近グループのいわゆる“バターン・ボーイズ”の一人。’42〜45年第14防空軍司令官、陸軍少将。戦後’45年12月クレーマーの後任としてGHQ(連合軍最高司令部)の第2代経済科学局長となり、財閥解体等の経済民主化をはかり、’52年占領終結まで在任。野球好きで有名で、米国プロ野球チームの来日に力を貸すなど日本の復興・発展にも尽力。’76年のロッキード事件で噂されたM資金(マーカット資金)は当時絶大な権力を持っていたマーカットが日本復興のために蓄積したものといわれる。’52年帰国後陸軍省に勤務、’55年退役。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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