マーストン(英語表記)John Marston

改訂新版 世界大百科事典 「マーストン」の意味・わかりやすい解説

マーストン
John Marston
生没年:1576?-1634

イギリスの詩人劇作家。オックスフォード大学卒業後しばらく法学院に籍を置くが,やがて文筆家を志し,1590年代の終りごろにはエロティックで鋭い風刺に富む長詩を出版するかたわら,劇作に手を染めるようになった。一時期他の劇作家と組んでB.ジョンソン攻撃のための風刺劇を幾編か書いたが,その後和解してジョンソンと《東行きだよう!》(1605初演。以下初演年)を共作している。彼の単独作としては,焦点のあいまいな悲喜劇アントニオメリダ》(1599),その続編をなす凄惨な復讐悲劇《アントニオの復讐》(1599),問題劇的暗さを伴うメロドラマ《オランダ人娼婦》(1604),辛辣(しんらつ)きわまりない風刺を基調とする悲喜劇《不満居士》(1604),ローマ史に題材を取った悲劇《ソフォニズバ》(1606)などがある。これらの作品は,最後のものを除いて,ほとんど憎悪に近い厭世的ビジョンに貫かれ,女に対する毒々しい皮肉に満ちている。誇張されたせりふと超人的な人物の動きはときに滑稽ですらあるが,反面,舞台効果に多くの注意が払われており,それが劇全体の内的統一の欠如を覆っているともいえる。1608-09年ごろに文筆を絶って聖職に入った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マーストン」の意味・わかりやすい解説

マーストン
まーすとん
John Marston
(1576―1634)

イギリスの劇作家。母はイタリア系。オックスフォード大学卒業後、父の後を継ぐため法学院に進むが、風刺詩執筆をきっかけに文学に転向代表作は陰謀喜劇『不満の徒』(1604)。ほかに悲喜劇『アントニオとメリダ』(1599)、その続編の流血悲劇『アントニオの復讐(ふくしゅう)』(1599)、『追従屋』(1604~1605?)、悲劇『ソフォニズバ』(1606)など。もっともらしい文学理念を意識的に退け、奇抜な語彙(ごい)を大胆に駆使する文体には、知的ポーズが色濃くにじみ出ている。ことさら暗い汚れたイメージに走りがちな独自の韻文も、その表れといえよう。ベン・ジョンソンと対立し互いに戯曲で応酬した一時期もあるが、1605年、筆禍事件を招いた市民喜劇の傑作『東行き!』をG・チャップマンを加えた3人で合作している。1608年に筆を折り聖職についた。ロンドンのテンプル教会に眠る。

[野崎睦美]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マーストン」の意味・わかりやすい解説

マーストン
Marston, John

[生]1576.10.7. 〈洗礼〉オックスフォードシャー,ウォーディントン
[没]1634.6.25. ロンドン
イギリスの劇作家,風刺詩人。オックスフォード大学卒業後,ミドル・テンプル法学院に学んだが文学に転じ,恋愛詩『ピグマリオン像の変容』 The Metamorphosis of Pigmarion's Image (1598) や風刺詩『悪徳のむち』 The Scourge of Villainie (98) を発表したが,風刺詩禁止令のため劇作に転向。セント・ポール少年劇団のためにセネカ風の流血悲劇『アントニオとメリダ』 Antonio and Mellida (99) ,その続編『アントニオの復讐』 Antonio's Revenge (99頃) ,代表作の悲喜劇『不満の士』 The Malcontent (1604) を書いた。この間に行われた B.ジョンソンとの「劇場戦争」は有名。 1607年以後劇界を去って聖職についた。

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百科事典マイペディア 「マーストン」の意味・わかりやすい解説

マーストン

英国の劇作家,詩人。B.ジョンソンとしばしば論争した。代表作は悲喜劇《不満居士》(1604年)。1608年―1609年ころ筆を捨て聖職についた。

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