ミレニアムリテイリンググループ(読み)みれにあむりていりんぐぐるーぷ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ミレニアムリテイリンググループ
みれにあむりていりんぐぐるーぷ

そごうと西武百貨店を包括する百貨店グループの旧名称。業績悪化に苦しむ百貨店業界再編成のなかで、2003年(平成15)にそごうと西武百貨店の事業活動を統括する持株会社として、株式会社ミレニアムリテイリングが発足した。2006年にセブン‐イレブン・ジャパン、イトーヨーカ堂などを擁するセブン&アイ・ホールディングスの完全子会社、株式会社そごう・西武となる。さらに2022年(令和4)11月、アメリカの不動産投資ファンドへ売却されることで基本合意が成立(実行は2023年)した。資本金205億円(2022)。

 そごうの歴史は、1830年(天保1)に初代十合伊兵衛(そごういへえ)が大坂に創業した古着屋の「大和屋」にさかのぼる。1877年(明治10)に心斎橋筋(しんさいばしすじ)に進出して十合呉服店と改称、その後、京都と神戸にも店舗を構えた。1919年(大正8)に株式会社となり、本格的百貨店経営をスタートし、1940年(昭和15)に商号を株式会社十合に変更した。

 第二次世界大戦後は、1946年(昭和21)から1952年まで大阪本店が占領軍に接収された。1957年に有楽町(ゆうらくちょう)に東京店を開店したが、経営的に負担となり、1962年に水島廣雄(みずしまひろお)(1912―2014)が社長に就任して、経営再建を打ち出した。1967年には独立別会社方式による千葉そごうを開店、1970年代には、いよてつそごう(松山)、柏(かしわ)そごう、広島そごう、札幌そごう、黒崎(くろさき)そごう(北九州)などを開設し、1979年に10店舗に達した。その後も横浜そごうをはじめとして国内外にハイスピードの出店を続け、1994年(平成6)にはグループ店舗数が40に達した。しかしそのころから急膨張の反動で業績の悪化が著しく店舗の閉鎖も相次ぎ、経営が破綻(はたん)して2000年に民事再生手続を申請した。翌2001年から再生計画を開始し、西武百貨店との業務提携が行われた。そごうの2008年の店舗数は12、資本金10億円、売上高約4953億円。

 西武百貨店の前身は、西武鉄道の創設者堤康次郎(つつみやすじろう)が、1940年に池袋(いけぶくろ)駅東口に創業した武蔵野(むさしの)デパートである。1949年に西武百貨店と改称、1952年に7階建ての店舗が完成し、ターミナルデパートとしての内実をもつようになった。

 1954年に堤康次郎の次男清二(せいじ)が入社、その後、清二は西武鉄道からの自立化を進めながら経営をリードし、西武流通グループの中核企業として総合百貨店を目ざしていった。1967年の船橋店開店を皮切りに、第一次多店舗化を推進、1971年までに、渋谷(しぶや)、大宮、静岡、八王子、宇都宮、浜松で店舗を開設した。第二次多店舗化は1984~1988年で、有楽町、筑波(つくば)、つかしん(尼崎(あまがさき))、所沢(ところざわ)、川崎の各店舗を開設した。このころ、従来の百貨店の枠を超える専門大型店化を推進し、ロフトなどをオープンした。1985年には西武流通グループも生活総合産業を標榜(ひょうぼう)する西武セゾングループに名称変更(さらに1990年にはセゾングループと変更)し、1987年度の西武百貨店の売上高は三越(みつこし)を抜いて百貨店業界第1位となった。しかし、1990年代後半以降、西武百貨店もリストラクチャリングと大規模な閉店を迫られ、そごう再生を支援しながら、提携と相互補完的整理の推進による生き残りを目ざし、ミレニアムリテイリンググループを形成するに至った。西武百貨店の2008年(平成20)の店舗数は16、資本金60億円、売上高4611億円。

[中村青志]

『株式会社そごう編・刊『株式会社そごう社史』(1969)』『由井常彦編『セゾンの歴史』上下(1991・リブロポート)』『セゾングループ史編纂委員会編『セゾンの活動 年表・資料集』(1991・リブロポート)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android