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ムハンマド[5世] Muḥammad V

世界大百科事典 第2版の解説

ムハンマド[5世]【Muḥammad V】

1910‐61
モロッコのスルタン,国王。在位1930‐53,55‐61年。アラウィー朝のスルタンの子として生まれ,1927年に摂政,30年にスルタンに即位した。スルタンは植民地体制の傀儡(かいらい)にすぎなかったが,ムハンマド5世は第2次大戦中から独立運動の先頭に立った。53年に廃位されたが,流刑中も反フランス運動のシンボルとしての役割を果たし,55年に復位,56年の独立を達成した。57年にスルタンから国王と改称,王権の基礎を固めた。

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世界大百科事典内のムハンマド[5世]の言及

【アラウィー朝】より

…【私市 正年】。。…

【アラウィー朝】より

…フィラーリーFilālī(ターフィーラールトTāfīlālt出身者の意)朝,フィラール朝ともよぶ。王家の先祖は13世紀末,アラビア半島からモロッコ南部のターフィーラールト地方に来住したアラブ系の一族で,預言者ムハンマドの孫ハサンの血を引くシャリーフ(〈高貴な血筋の人〉の意)を主張する。聖者崇拝思想の発展とポルトガルやスペインに対する排外的なジハード(聖戦)意識の高揚を土台に,ムハンマド・アッシャリーフをスルタンとしてターフィーラールトに建国(1631),40年には,アラウィー家のムハンマド・ブン・ムハンマドは,周辺地域を含む王とみとめられた。…

【モロッコ】より

…フランスによるアルジェリア征服以降列強の圧力が高まり,イギリス(1856),スペイン(1861),フランス(1863)が相次いで不平等な通商条約を押しつけてモロッコへの経済的侵略が始められた。それに対してムハンマド4世以下3代のスルタンのもとで行政・軍制の改革,産業開発などの近代化政策が実施されたが,それが財政危機と内乱を誘発し,かえって国力を弱めた。フランスほかの列強は互いに牽制しあったが,マドリード条約(1883)による上記3国の妥協,タンジール事件(1905)によるドイツの介入(モロッコ事件),アルヘシラス会議(1906)を経て,モロッコは,経済的には列強への門戸開放,政治的にはフランスとスペインへの従属を余儀なくされた。…

※「ムハンマド[5世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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