メルビル(英語表記)Herman Melville

精選版 日本国語大辞典 「メルビル」の意味・読み・例文・類語

メルビル

(Herman Melville ハーマン━) アメリカ小説家捕鯨船の水夫となって冒険的生活を送り、その経験をもとに人間の運命の悲劇的洞察に貫かれた大作「白鯨」を書いた。(一八一九‐九一

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デジタル大辞泉 「メルビル」の意味・読み・例文・類語

メルビル(Herman Melville)

[1819~1891]米国の小説家。捕鯨船に乗り組んで南海の島々を放浪した体験をもとに小説を発表。しだいに思弁的、象徴的な作風へと向かった。小説「白鯨」「ビリー=バッド」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「メルビル」の意味・わかりやすい解説

メルビル
Herman Melville
生没年:1819-91

アメリカの小説家,詩人。ニューヨーク市の名門に生まれたが,12歳で父と死別した。これが彼の作品を貫く孤児のテーマに結びつく。19歳のときイギリス行きの商船の水夫になり,1841年には捕鯨船に乗り組む。船がマルキーズ諸島に寄港したとき,友人と脱走,約1ヵ月をタイピー(〈食人種〉の意)の谷で過ごしたほか,ハワイや南太平洋の島々を転々としたのち,44年イギリス軍艦で帰国。この放浪体験からメルビルは,所が変われば道徳も異なり,真理も相対的なものであるという認識を得た。また頭脳の所産である科学技術により自然を征服しようとする西欧文明とは異質の,心情の命ずるところに従い自然と親しむ南海の文明の存在を知った。

 46年処女作《タイピー》,翌年続編《オムー》を発表,高貴な野蛮人たちの無垢な幸福を,堕落した西欧文明と対比しつつたたえて注目された。次の《マーディ》(1849)は,前2作が体験に基づく奇談だったのと作風を変え,《ガリバー旅行記》を思わせる風刺的・寓意的物語であったが,散漫な構成のため失敗に終わった。商船での体験を描いた《レッドバーン》(1849),軍艦の生活を批判した《白ジャケット》(1850)は,ともにリアリスティックな筆致で好評を得る。このころからメルビルは,人間性にひそむ悪を追究し始めた。50年優れた評論《ホーソーンとその苔》を執筆したのを契機に,ホーソーンとの親交が始まり,2人の大作家は互いによい刺激をうけた。51年代表作《白鯨》を,翌年《ピエール》を発表。後者は主人公と異母姉との不倫の愛を中心に,象徴的技巧を駆使して善悪の規準の曖昧(あいまい)さ,人間の心の深淵をさぐる傑作であるが,あまりにも暗い主題のため不評であった。このころから厭人的傾向が強まり,56年には,気分転換のためヨーロッパ,中近東を旅行する。

 《バートルビー》《ベニートー・セレーノ》などの優れた短編を収めた《ピアザ物語》(1856),ミシシッピ川を下る船を舞台に悪魔めいた人物がさまざまな扮装で登場して人間の醜さを暴く問題作《詐欺師》(1857)なども世間に認められなかったので,生活のため66年から20年間ニューヨークの税関に勤務する一方,詩作に転じた。南北戦争に取材した《戦争詩集》(1866),20年前に聖地を訪れた記憶をもとに,信仰の問題を扱う2万行近い長編物語詩《クラレル》(1876),《ジョン・マーとその他の水夫たち》(1888)などを出版したほか,未完の短編《ビリー・バッド》(1924)を残して,世を去った。《ビリーバッド》は,捨子で両親を知らぬ無垢な青年水夫ビリーが,悪人に陥れられたが,自分を理解してくれる船長に心の父親を見いだして,幸せに死んでいくという美しい物語である。

 世間から忘れられたまま死んだメルビルだが,1921年R.ウィーバーにより最初の伝記が書かれ,続いて全集(1922-24)が出版されると再評価が始まり,今日ではアメリカ最大の小説家の一人と認められるにいたった。宇宙のよるべなき孤児,迷子として人間を実存的にとらえ,リアリズム文学とは異質の〈ロマンス〉の形式を借り象徴的手法を駆使し,なぜ神は無力な人間を不幸のまま放置するのかと真摯(しんし)に問いかけ,宇宙にも人間の中にも遍在する悪について思索をこらしている点に,彼の偉大さがある。宇宙の迷子という発想は,裏返せば,宇宙を錯雑したなぞに満ちたものと見ることになる。そのような宇宙観を表現する文体も作品の構成も錯綜したものとならざるをえない。平凡な現実の描写が突然形而上的思索に変わったりする。例えば《白鯨》42章では,〈白い色〉の喚起するさまざまな具体的なイメージの積重ねが,宇宙の虚無についての瞑想に飛躍するのである。このようなマニエリスト的な特色が,現代文学に大きな影響を与えている。
執筆者:

メルビル
Andrew Melville
生没年:1545-1622

スコットランドの宗教改革者,神学者長老派教会の建設者。セント・アンドリューズ大学,パリ大学に学び,ジュネーブでカルバンの後継者ベーズの信頼を得た。スコットランドに帰り,グラスゴー大学学長(1574),セント・アンドリューズ大学学長(1590),長老派教会総会議長(1582,87)等を歴任した。ジェームズ6世の監督制樹立に反対,4年間ロンドン塔に幽閉されたりしたが,彼によって長老派教会の基礎が築かれた。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メルビル」の意味・わかりやすい解説

メルビル
Melville, Herman

[生]1819.8.1. ニューヨーク
[没]1891.9.28. ニューヨーク
アメリカの小説家,詩人。古い家柄の貿易商の家に生れたが,少年時代に父が破産,まもなく死亡したため,2,3の職業に従事したのち,1839年商船に乗込み,41年からは,4年間捕鯨船や軍艦の乗組員として放浪生活をおくる。そのおりの南太平洋の島々での経験をもとに『タイピー』 Typee (1846) ,『オムー』 Omoo (47) を出版,南海の冒険譚としてベストセラーになった。しかし,第3作『マーディ』 Mardi (49) は同様に南海を舞台にしたものの,一変して形而上的な寓意物語であり,不評であった。経済的理由から,自己の体験を素材に『レッドバーン』 Redburn (49) ,『ホワイト・ジャケット』 White-Jacket (50) の海洋小説2作を出版。その後,先輩作家ホーソーンとの交友,その作品を絶賛する評論の執筆などがあり,人間の心の暗さへの洞察や象徴主義的手法など多大の影響を受けた。 51年に傑作『モービー・ディック (白鯨) 』 Moby-Dickを刊行するが,当時の読書界にはまったく受入れられず,理想主義的な青年の真理探究の悲劇を描いた,次の大作『ピエール』 Pierre (52) も無視された。以降は,雑誌に実存主義的な傑作「バートルビー」 Bartleby the Scrivener (53) ,「ベニート・セレーノ」 Benito Cereno (55) などの短編を発表,短編集『ピアッザ物語』 The Piazza Tales (56) にまとめた。厭世的人間不信の奇書『詐欺師』 The Confidence-Man (57) を最後に詩作に転じ,聖地巡礼を主題にした長詩『クレアレル』 Clarel (70) など数冊の詩集がある。晩年は税関に勤めるなど,世間から忘れ去られた生活をおくり,ついに生前にはその真価を認められなかった。死後出版の中編『ビリー・バッド』 Billy Budd (1924) は,作者の到達した晩年の静謐な心境と諦観をうかがわせる。 20世紀に入り,その人間存在の深淵への洞察と多様な象徴主義的作風のゆえに,世界文学の巨匠の一人に数えられるにいたった。

メルビル
Melville, George Wallace

[生]1841.7.31. ニューヨーク
[没]1912.3.17. フィラデルフィア
アメリカの北極探検家,海軍技術家。ブルックリン工芸技術学校を卒業。 1861年補助技術官としてアメリカ海軍に入隊,南北戦争に従軍。数度,北極地方を探検し,特に 79年のそれは『リーナ・デルタにて』 In the Lena Delta (1884) に詳しく述べられている。 87年海軍の主任技術官,99年海軍少将。 1903年退役。数々の新技術を開発し,軍艦の機械類を設計,考案した。また三重スクリュー,水管式ボイラなどを考案。石油燃料の実験を繰返し,その重要性を予測した。

メルビル
Melville

カナダ,サスカチュワン州南東部の都市。 1906年に建設され,08年に町となり,60年市制施行。カナダ国有鉄道の分岐点として重要な位置にあり,周辺の酪農・穀物栽培地帯に対する諸サービスの中心地でもある。食肉加工,製粉,鉄道車両などの工場が立地する。人口約 5000。

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百科事典マイペディア 「メルビル」の意味・わかりやすい解説

メルビル

米国の作家。ニューヨーク市の教養ある貿易商の子に生まれたが,父の破産と死亡により15歳で学校を中退し,働きに出た。1839年にリバプール行きの船の給仕をしたことから海にあこがれ,1841年には捕鯨船に乗り組んで南太平洋にいき,途中で脱走もしたが1844年まで海上生活を送った。この体験から,南太平洋の人と自然を語る《タイピー》(1846年),タヒチ島を舞台にした《オムー》(1847年)を発表して成功。1850年マサチューセッツの農場に移り,ホーソーンと交遊,1851年に《白鯨》を書いたが,当時は不評で文名は衰え,1866年にはニューヨーク港の税関検査官となって生活を続けた。作品はほかに,《ピエール》(1852年),《詐欺師》(1857年),《ビリー・バッド》(1924年出版),詩集《戦争詩と戦争の諸相》(1866年)など。世界と人間を善と悪の面から象徴的にとらえたこれらの作品は,1920年代になって評価されるようになった。
→関連項目阿部知二ヒューストンマルキーズ[諸島]

メルビル

フランスの映画監督。パリ生れ。ヌーベル・バーグの先駆的監督として,J.L.ゴダールらに影響を与えた。J.コクトーの原作を映画化した《恐るべき子供たち》(1949年)で注目される。以降モンマルトルの暗黒街を舞台にした《賭博師ボブ》(1955年),夜のニューヨークを見事に捉えた《マンハッタンの二人の男》(1958年),J.P.ベルモンド主演のギャング映画《いぬ》(1963年)など,〈フィルム・ノワール〉色の強い作品を発表。ほかに《ギャング》(1966年),《サムライ》(1967年),《影の軍隊》(1969年),《仁義》(1970年),《リスボン特急》(1972年)などがある。
→関連項目ドロン

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世界大百科事典(旧版)内のメルビルの言及

【アメリカ文学】より

…この間,超越主義の仲間に一時は加わりながらもピューリタンの伝統に立つところの多かったホーソーンは,《緋文字》(1850)などによって人間の心に秘められた罪の意識の諸相を探り,心理のひだを象徴的に描いた。そのホーソーンへの献辞を添えて出版されたメルビルの《白鯨》(1851)は,海の男の執念を追究することによって,人間の心の,ひいてはこの世の暗黒そのものを掘り下げる。 当時,上記のような先鋭な作家と違って,常識的な立場から作品を書き,多くの読者をかちえていた作家群もいた。…

【白鯨】より

…アメリカの作家メルビルの長編小説。1851年出版。…

【ミシシッピ[川]】より

… もちろん,ミシシッピ川は単なる自然ではなく,蒸気船で往来する人間の集団であり,アメリカ社会の縮図でもあった。マーク・トウェーンも水先案内人として,そこで文学に現れるすべてのタイプの人間に出会ったと言っているが,そうした雑多な人間に目を向けたのがハーマン・メルビルの《詐欺師》である。彼はミシシッピ川の蒸気船を舞台に人間たちが繰り広げる奇怪な仮面劇を描いた。…

※「メルビル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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