メーソン(読み)めーそん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーソン」の意味・わかりやすい解説

メーソン
めーそん
Luther Whiting Mason
(1818―1896)

アメリカ音楽教育家。東部のメーン州の人。主として独学で音楽を学び、その体験から旋律や和声の段階的学習過程を考察した。ボストンで小学校の音楽教育を教材のくふうを通して実践していたとき、アメリカ留学中の伊沢修二と出会い、1880年(明治13)来日した。文部省雇外国人教師として1882年まで約2年半滞在する間に、唱歌作曲、教材作成、和声法教授、楽器知識伝授などを盛んに行って、日本における西洋音楽導入期に多大の功績を残した。

[山口 修 2018年8月21日]

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朝日日本歴史人物事典 「メーソン」の解説

メーソン

没年:1896.7.14(1896.7.14)
生年:1818.4.3
明治期のお雇い外国人。アメリカ合衆国メーンターナー生まれ。4月2日生まれとも。父は製材業者。ボストン音楽院で学んだのち音楽教師の道に進み,初等音楽用教科書・教材の編集・作成に努める。明治13(1880)年,前年文部省内に設置された音楽取調掛のお雇い教師として着任,同掛で唱歌,ピアノ,和声楽,管弦楽の授業を担当したほか,東京師範学校付属小学校,東京女子師範学校,同付属小学校,同付属幼稚園へも赴いて唱歌教育を実施し,さらに洋楽学習希望者たちにピアノ,バイオリン,オルガンなどの個人授業も行った。15年一時帰国,そのまま雇継打ち切りとなる。29年勲4等瑞宝章叙勲が決定されアメリカへ送達されるが,すでに本人死亡のため返還される。日本初のオーケストラ演奏の指導,『(小学)唱歌集』および『唱歌掛図』の出版をはじめ,メーソンが日本の初期洋楽界に尽くした功績はきわめて大きい。<参考文献>中村理平『洋楽導入者の軌跡』

(中村洪介)

メーソン

没年:大正12.9.1(1923)
生年:1853.2.6
明治期に来日したお雇い外国人。イギリス人電信技師,英語教師。イングランドノーフォーク州生まれ。明治8(1875)年に工部省の電信取扱方としてアビーと共に来日し,地方電信局に在勤してモールス電信符号の改良など電信事業の発達に貢献した。18年の工部省廃省後は,逓信省の東京電信学校教授となり,電信技術者の養成に寄与した。26年から第一高等中学校で英語を教え,神戸で発行されていた英字新聞の編集を支援し,チェンバレンとの共著による英文日本旅行案内を刊行した。関東大震災で死去し,横浜の外国人墓地に葬られた。<参考文献>大日本文明協会編『明治文化発祥記念誌』

(三好信浩)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーソン」の意味・わかりやすい解説

メーソン
Mason, Max

[生]1877.10.26. ウィスコンシンマディソン
[没]1961.3.23. カリフォルニア,クレアモント
アメリカの数理物理学者。ウィスコンシン大学卒業。 1903年ゲッティンゲン大学から学位取得。マサチューセッツ工科大学講師 (1903~04) ,シェフィールド理科学校助教授 (04~08) を経て,ウィスコンシン大学数理物理学教授 (08~25) 。シカゴ大学総長 (25) 。ロックフェラー財団理事となり (28) ,同財団会長 (29~36) 。微分方程式に関する数学的研究,電磁気学の理論研究に活躍したほか,第1次世界大戦中になした潜水艦探知器の発明も知られている。研究,教育のための行政的手腕にすぐれ,パロマ天文台設立も彼の指導下でなされた。主著『ニューヘーブン数学会議』 The New Haven Mathematical Colloquium (1901) 。

メーソン
Mason, James Murray

[生]1798.11.3. バージニアジョージタウン
[没]1871.4.28. バージニア,アレキサンドリア
アメリカの政治家。バージニアの政治家 G.メーソンの孫。 1837~39年連邦下院議員,47~61年連邦上院議員。民主党内の南部派として知られ,50年の逃亡奴隷法を起草。 61年南北戦争が始ると南部連合外交使節としてイギリスへ派遣された。このとき乗船したイギリス商船『トレント』号で航海中,北部の連邦軍艦により逮捕された。この「トレント号事件」 (1861.11.) をイギリスは現行国際法に違反する行為として激怒し,イギリスと北部との外交危機を招いた。 62年1月1日釈放され,イギリスで南部のために奔走した。

メーソン
Mason, George

[生]1725. バージニア,フェアファックス
[没]1792.10.7. バージニア,フェアファックス
アメリカの政治家。バージニア権利章典起草者として有名。 1749年オハイオ会社の設立に参加し西方領土への進出に関心を示す。アメリカ独立革命に際しては愛国派の指導者として活躍。 76年のバージニア邦憲法の起草にあたり,その前半部に権利章典を執筆。 76~80,86~88年バージニア邦議会議員。特に信教の自由確立のために努力。 87年合衆国憲法制定会議にバージニア代表として参加したが,88年の憲法批准会議では,権利章典の欠如や関税,奴隷問題での妥協などの点で批准に反対した。彼の意図は連邦憲法修正第1~10条 (いわゆる権利章典) のなかで生かされた。

メーソン
Mason, Luthur Whiting

[生]1828.4.3. メーン,ターナー
[没]1896.7.14. バックフィールド
明治期の日本で活躍したアメリカ人の音楽教師。ボストンで初等科音楽教育に実績を上げ,訪米した日本政府文部官僚らの尽力で,1880年3月文部省音楽取調掛雇として招聘され,西洋音楽の伝習,唱歌の編纂に従事。 82年7月,雇用期間の延長を断って帰国し,解任となったが,日本での再就職を熱望していた。死去の年,勲四等を贈られた。

メーソン
Mason, John Young

[生]1799.4.18. バージニア,グリーンズビル
[没]1859.10.3.
アメリカの政治家,外交官。 1831~37年連邦下院議員,44,46~49年海軍長官,45~46年連邦司法長官。 53~59年フランス駐在大使。 54年 10月 J.ブキャナン,P.スーレーとともに,奴隷州拡大をねらってキューバの割譲を主張したオステンド宣言に署名。

メーソン
Mason, John

[生]1586. ノーフォーク
[没]1635.12. ロンドン
イギリスの植民地領主,ニューハンプシャーの建設者。 1615~21年ニューファンドランド総督。 22年 F.ゴージェズとともにイングランド国王よりニューイングランドに広大な土地を与えられたが,2人は 29年この土地を2分することに合意,メーソンは引受けた地域をニューハンプシャーと名づけて,その植民,開発に努めた。

メーソン
Mason, Lowell

[生]1792.1.8. メドフィールド
[没]1872.8.11. オレンジ
アメリカの賛美歌作曲家。独学で音楽を学び,ボストンのヘンデル・ハイドン協会の会長をつとめ (1827) ,またボストン音楽大学を創立 (32) 。彼の作った多くの賛美歌は今日でも広くアメリカ人に愛唱されている。

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百科事典マイペディア 「メーソン」の意味・わかりやすい解説

メーソン

英国の俳優。ケンブリッジ大学卒。1933年ロンドンで舞台に立ったが,1935年映画界にデビュー,個性的スターとなり,C.リード監督《邪魔者は殺(け)せ》(1947年)等に出演。戦後はハリウッドでも活躍。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「メーソン」の解説

メーソン Mason, Luther Whiting

1828-1896 アメリカの音楽教師。
1828年4月3日生まれ。ボストン市で初等音楽教育を担当。留学中の伊沢修二を知り,明治13年(1880)伊沢の建議で音楽取調掛の教師として来日。和洋折衷の唱歌をつくり,教科書「小学唱歌集」を編集。学校音楽教育の基礎をつくった。15年帰国。1896年7月14日死去。68歳。メーン州出身。

メーソン Mason, William Benjamin

1853-1923 イギリスの電信技師。
1853年2月6日生まれ。明治8年(1875)日本政府により工部省電信寮にまねかれ,モールス信号の実技指導,電信符号の改良にあたる。のち逓信省の東京電信学校教授となり,一高で英語もおしえた。大正12年9月1日,関東大震災のとき横浜で圧死。70歳。

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世界大百科事典(旧版)内のメーソンの言及

【フリーメーソン】より

…18世紀初頭イギリスに創設され,以来世界中にひろがった博愛主義団体。単にメーソンMasonともいう。現有勢力は,ロッジ(支部)数3万2370,会員数615万5000人(《ブロックハウス百科事典》1966年度の調査による)。…

※「メーソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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