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モエシア Moesia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モエシア
Moesia

ローマ帝国の属州の一つ。ドナウ川下流南部からバルカン山脈にいたる地域で,現在のルーマニアブルガリアにあたる。前 30年頃ローマ領となり属州マケドニアに加えられたが,のち単独の属州となり,86年頃ドミチアヌス帝によって2つに分けられた (上・下モエシア) 。トラヤヌス帝の遠征後その範囲もドナウ川の北方へ拡大し,5つの軍団がおかれた。黒海沿岸の穀物,果物,バルカン山地の鉱石などをローマに供給して繁栄。住民はギリシア的要素が強かった。3世紀のなかば以後蛮族の侵入を受けたが,7世紀まではローマ領 (5世紀初め頃よりビザンチン帝国領) であった。

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世界大百科事典 第2版の解説

モエシア【Moesia】

ドナウ川下流の南岸,今日のセルビア地方(ユーゴスラビア),ブルガリア北部,ドブロジャ地方(ルーマニア)に相当する地域に位置したローマ帝国属州の名。前29年,トラキア系を主とする原住諸族がローマ軍に敗れてその支配下に入り,後44年ころまでにはコンスル級総督をもつ皇帝管轄属州としての編制が整った。ドミティアヌス帝治下に上・下モエシア州に分かれ,ディオクレティアヌス帝により,あらためて5州に分割された。辺境属州ゆえに強力なローマ軍団が常駐し,その軍営地はローマ化の拠点となった。

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世界大百科事典内のモエシアの言及

【ドブロジャ】より

…最初の文化的発展は,前7世紀以降黒海沿岸にトミスTomis(現,コンスタンツァ)やカラティスKallatisなどの植民都市を築いたギリシア人によってもたらされたが,都市の周辺にはダキア人,ゲート人が住んでいた。前29年までにローマ領となり,初めはモエシア州に編入されたが,ローマ時代はむしろスキュティア・ミノルScythia Minorの名で知られていた。ローマ皇帝トラヤヌスはここに城壁を築き,アダム・クリシAdam Clisiには皇帝の偉業をたたえる記念塔が建てられたが,この地方はその後のビザンティン帝国時代も,南ロシアや中央アジアのステップ地帯から殺到する諸民族にたいする防衛線の役割を果たした。…

※「モエシア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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