モダンダンス

精選版 日本国語大辞典 「モダンダンス」の意味・読み・例文・類語

モダン‐ダンス

〘名〙 (modern dance) 伝統的なバレエに対抗して一九二〇年代に興った舞踊芸術。自由で個性的な内容表現技法の創造をめざして、ドイツアメリカで発達した。
吉里吉里人(1981)〈井上ひさし〉二七「古橋は自分の知らぬうちにモダンダンスみたいなものを四小節分ぐらい踊ってしまっていたのだ」

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デジタル大辞泉 「モダンダンス」の意味・読み・例文・類語

モダン‐ダンス(modern dance)

20世紀に、伝統的なバレエに対抗して興った新しい芸術舞踊。自由で個性的な表現を重視する。ドイツ・アメリカで発達。

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改訂新版 世界大百科事典 「モダンダンス」の意味・わかりやすい解説

モダン・ダンス
modern dance

古典的なバレエ技法(ダンス・クラシック)に反発し,まったく新しい考え方に基づいて生まれたダンスの一様式。I.ダンカンを祖とし,1920年代のドイツで確立され,その後アメリカで発達をみた。〈モダン・ダンス〉という言葉は33年にアメリカの評論家マーティンJohn Martinが,ダンカンのフリー・ダンスfree dance(ニュー・ダンスともいう),ドイツのM.ウィグマンらのノイエ・タンツNeue-Tanz(のちにモデルネ・タンツといわれた)やアメリカのM.グラームらのダンスを総称し定義づけたことに由来がある。しかし,その後の発展にともない,現在欧米では〈コンテンポラリー・ダンスcontemporary dance〉,日本では〈現代舞踊〉の名称で呼ぶことが多くなっている。

ダンカンは,幼児期から学んだ古典的なバレエ技法に満足せず,ダンス・クラシックの形式やパ(ステップ)を無視して自然で自由な表現により〈人間〉を賛美する踊りを創造した。薄いギリシア風のチュニックを身にまとい,音楽により触発される肉体のおもむくままを素足で踊った。バッハ,ベートーベンなどの交響楽曲を多く用いた最初の踊り手でもある。彼女は,1899年シカゴでデビューするが,失敗に終わり,その後ヨーロッパに渡り,パリやベルリンで称賛を受ける。1905年にはロシアを訪れ,フォーキンパブロワにも影響を与えたといわれる。しかし,各地に学校をつくったにもかかわらず,そこからダンカンを継承するすぐれた舞踊家を生むことはできなかった。

ドイツにノイエ・タンツが生まれるのは1920年代に入ってからだが,それに先行するものとして,1905年にI.ダンカンがベルリンに開いた学校や11年にÉ.ジャック・ダルクローズがドレスデン郊外ヘレラウに開いたリトミックの学校がある。ウィグマンはノイエ・タンツの祖といわれるが,最初リトミックを学び,のちR.vonラバンに師事した。14年のデビュー作《魔女の踊り》にみるように,仮面をつけ,ゴングや太鼓,シンバルなど打楽器のみの伴奏による東洋的な表現に新しい境地を開いた。20年にはドレスデンに舞踊学校を開き,ここはドイツのノイエ・タンツの中心になった。30年の《トーテンマール》はその代表作。このテーマは戦争による死者の霊を慰めるものだが,こうした主題がバレエに採り上げられること自体が新しく,さらに打楽器,ピアノなどにコーラスを加えた伴奏,出演者も歌いかつ踊るという形式は画期的であった。またラバン門下のK.ヨースは32年に《緑のテーブル》で反戦的な色彩の濃い作品をつくった。ウィグマン門下のクロイツベルクHarald Kreutzberg(1902-68)は31年にベルリン国立歌劇場で《惑星》(ホルスト作曲)を振り付け,みずからも出演した。しかしナチスの時代になるとウィグマンの学校は閉鎖され,多くの舞踊家も四散し,ノイエ・タンツは一時死滅した感があった。

アメリカにおいて最初にモダン・ダンスの火をつけたのはR.セント・デニスであった。彼女はインドなどの東洋の踊りに自然な踊りの源を求めた。1906年の《ラダ》の発表後,ヨーロッパで活躍し,09年アメリカに戻りT.ショーンと結婚。ともに15年デニショーン舞踊学校を創立し,ここではフランスの音楽教育家デルサルトFrançois Delsarte(1811-71)のジェスチャー(身振り)を重視する理論を根底にした舞踊教育を行った。この門下からグラーム,D.ハンフリー,ウェードマンCharles Weidman(1901-75)ら今日のアメリカのモダン・ダンスを形成する先覚者たちを生んだ。とくにグラームはその後最も大きな影響力をもった。彼女はデニショーンを離れ,1930年代に入るとしだいにその独創性をあらわし,舞踊テクニックの体系化をはかり,創作の上では内面の情感を鮮明にあらわすフォームをみせた。そこではもはや愛や喜びや美しさだけが創作の対象になるのではなく,憎しみや苦悩,醜いものも重要なテーマとして踊られねばならなかった。そのためには新しい動きの開発が必要となり,グラームはコントラクション(収縮)とリリース(解放)の技法を生み出し,それをマーサ・テクニックの基本にした。作品には黒人や東洋人ダンサーを多く登場させ,アキコ・カンダ,浅川高子ら日本人も活躍している。その門下からはM.カニンガムP.テーラーを生んだ。そのほかニコライAlwin Nikolais(1912-93),A.エイリーらがアメリカのモダン・ダンスをリードする形で活動している。

アメリカではニューヨークを中心にポスト・モダン・ダンスの活動が1950年代から始まったが,ハルプリンAnn Halprin(1920- )は,ダンス・ハプニングの開拓者の一人である。ヨーロッパでもヨースに学んだバウシュPina Bausch(1940-2009)がアメリカで学んだ後73年からブッパータール舞踊団で活躍し,実験的な作品を発表している。日本のモダン・ダンスはウィグマンの影響から始まり,グラームやさらに新しいアメリカから多くを吸収している。
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世界大百科事典(旧版)内のモダンダンスの言及

【ダンカン】より

…サンフランシスコに生まれる。クラシック・バレエのがっちりと組み立てられた体系に反旗をひるがえし,モダン・ダンスというジャンルが誕生するきっかけを作った。彼女は〈自然に帰れ〉をモットーとし,バレエのタイツや靴を用いず古代ギリシアのゆるやかなチュニック(貫衣)をまとい,感情のおもむくままに肉体を動かした。…

【バレエ】より

…それゆえクラシック・ダンスをそのままバレエといっても,さして不都合でなかったわけである。しかし20世紀前半から,とくに第2次世界大戦後は,バレエで踊られるダンスがクラシック・ダンスに限らず,クラシック・ダンスに対立するモダン・ダンスをも含むようになったので,バレエを必ずクラシック・ダンスによって踊られるものと考えることは不可能になった。要するに現在ではバレエに使われるダンスはどんなものであってもかまわないので,劇場的なもの,演劇的なダンスであるなら,すべてがバレエである。…

※「モダンダンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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