モン(読み)もん(英語表記)Mon

改訂新版 世界大百科事典 「モン」の意味・わかりやすい解説

モン[州]
Mon

ミャンマー南東部の州。モン族人口の多い旧モールメイン,タトンの両県が1974年の新憲法によって州として再編された。北緯15°~18°,東経96°~99°に位置し,北はペグー管区,東はカレン州,南はテナッセリム管区と接し,西はマルタバン湾に面する。面積1万2150km2,人口250万(2000)。州都はモールメイン。行政的には10郡に細分されている。南西季節風の影響で年平均降水量が5000mmに達する多雨地帯。温度差は夏と冬とで月平均気温で5℃くらいしかない。州内をサルウィン,ジャイン,アタラン,ビーリンの4河川が流れ,流域には水田が広がる。おもな産物は米と果物。米は年70万~80万tを産し,イラワジ,ペグーヤンゴンの3管区に次いで多い。果物はココヤシドリアンマンゴスチン,レイシなどの熱帯果物が中心である。タンビューザヤでは年1万8000tの塩を産する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モン」の意味・わかりやすい解説

モン
もん
Mon

ミャンマー(ビルマ)とタイに住む少数民族。ミャンマーではタラインTalaing、タイではモーンともよばれる。モン州を中心にミャンマーに約45万人、タイ中部に約10万人がいる。古くからインド系の高い文化をもち、活発に海上貿易を行った。大陸部東南アジアにおいて最初にスリランカ系の上座部仏教を受容し、11世紀パガン朝のビルマにこれを伝えた。唐の玄奘(げんじょう)や義浄が記録した「杜和鉢底国」「堕羅鉢底国」は、モン人の国ドバーラバティであったと考えられている。ビルマでは下ビルマのペグー(現バゴー)を中心に18世紀中葉まで活動したが、のちビルマ人に制圧され、ビルマの一少数民族となった。タイでは、北タイを中心に13世紀まで国を建てていたが、のちタイ人に征服され、やがて同化されて独自性を失った。

 現在タイ国内に居住するモン人は、16世紀以降ビルマから戦乱を逃れて移住した難民子孫である。言語オーストロアジア語族のモン・クメール諸語に属するモン語。

石井米雄

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百科事典マイペディア 「モン」の意味・わかりやすい解説

モン

クメール族と並びビルマ族,タイ族の南下以前に下ミャンマー,タイ,マレー半島北部に居住していた人びと。現在は少数民族としてそれらの国内に残存。言語はアウストロアジア系。独自の文字(南インド系)をもち,かつてはインドシナに多くの王国を形成して栄えた。
→関連項目タウングー朝ドバーラバティ美術ミャンマー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モン」の意味・わかりやすい解説

モン
Monts, Pierre du Guast, Sieur de

[生]1560頃.サントンジュ
[没]1630頃
フランスのカナダ植民地建設者。 1604年ニューフランスに植民地を建設する特許状を得,同年5月フランス国王アンリ4世に派遣された S.シャンプランとアカディアに出発,05年ポールロワイヤル (現ノバスコシア,アナポリスロイヤル) に植民地を建設。 07年特許状を取消されたが,08年再び特許状を得た。

モン
Monn, Mathias Georg

[生]1717.4.9. ウィーン
[没]1750.10.3. ウィーン
オーストリアの作曲家。クロスターノイブルクで音楽を学び,1738年以降ウィーンのカルル教会のオルガン奏者をつとめた。教会音楽のほかシンフォニー,協奏曲を作曲。第3楽章の位置にメヌエットをもつ歴史上最初の4楽章形式のシンフォニー (1740) を残した。

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