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モンゴル民主化 もんごるみんしゅか

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知恵蔵2015の解説

モンゴル民主化

1989年11月末から、モンゴルの首都ウランバートルでは、知識人・学生を中心とした反体制勢力モンゴル民主連盟による民主化運動が広がった。90年2月には同連盟を母体とするモンゴル民主党が誕生、21年のモンゴル革命以来のモンゴル人民革命党一党独裁体制が崩壊した。モンゴル人民革命党は、90年3月の中央委員会総会でバトムンフ書記長らを更迭、改革派のG.オチルバト新書記長を選出し、4月の臨時党大会、5月の人民大会(フラル)を経て、7月末には複数政党制による初の自由選挙を実施した。結果は人民革命党の勝利となったが、モンゴル民主党などの野党も健闘して注目された。同年9月には人民大会議(大フラル)でP.オチルバト初代大統領を選出した。民族主義も復活し、チンギスカン再評価、ソ連式アルファベット(キリル文字)に代わるモンゴル文字の再使用(モンゴル文字改革)も決定された。しかし民主化されたモンゴルの経済的・社会的混乱、特に超インフレも深刻であり、民主党派への批判も高まって、92年6月の総選挙では人民革命党が圧勝した。93年6月の大統領直接選挙では、現職のオチルバトが再選された。96年7月の総選挙では野党の民族民主党などの「民主連合」が圧勝し、41歳のエンフサイハン首相が生まれた。97年5月の大統領選挙では野党のバガバンディ候補が圧勝したが、大統領=人民革命党、内閣=民主連合というねじれ構造で混迷が続き、エンフサイハン首相は経済政策の失敗で98年4月に辞任、エルベグドルジ首相に交代した。同首相も金融混乱の責任をとって同年7月に辞任、同年12月にナランツァツラント首相になったが、この間、98年10月にはモンゴル民主化の指導者ゾリグが暗殺されるなど、政治混乱が続いていた。2000年7月の総選挙では人民革命党が圧勝し、ナンバリン・エンフバヤル党首が首相になった。01年5月の大統領選挙ではバガバンディ大統領が再選。04年6月の総選挙では民主党が再び復権し、05年5月の大統領選挙ではエンフバヤル前首相が当選した。06年1月に人民革命党を中心とする連立政権が成立し、ミエーゴムビン・エンフボルド党首が首相に就任した。政治的には民主化された人口約270万のモンゴルも、経済は依然として低調で(1人当たりGDPは約480米ドル)、家畜の10%を失うなどの近年の雪害(ゾド)もあり、貧富の差も拡大。超インフレ下で失業率も8%と高く、国家予算の20〜30%を占める外国の援助が、大きな支えになっている。モンゴル建国800年の06年8月には小泉首相が訪問してエンフボルド首相と会談、07年3月にはエンフバヤル大統領夫妻が来日するなど日本への期待が大きい。

(中嶋嶺雄 国際教養大学学長 / 2008年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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