モーリシャス(読み)もーりしゃす(英語表記)Republic of Mauritius 英語

精選版 日本国語大辞典 「モーリシャス」の意味・読み・例文・類語

モーリシャス

(Mauritius) インド洋南西部、マダガスカル島の東方にあるモーリシャス島とロドリゲス島を占める共和国。モーリシャス島は一五〇五年ポルトガル人が到達、オランダ領を経て一七一五~一八一〇年フランス領。一八一四年以来イギリス領。一九六八年イギリス連邦加盟国として独立。砂糖キビのプランテーションが行なわれる。首都ポートルイス

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モーリシャス」の意味・わかりやすい解説

モーリシャス
もーりしゃす
Republic of Mauritius 英語
République du Maurice フランス語

アフリカ南東部、マダガスカル島東方900キロメートルのインド洋上に浮かぶモーリシャス島を中心とする島嶼(とうしょ)国。モーリシャス島東方550キロメートルのロドリゲス島および北方のサンゴ礁群(アガレガ諸島、カルガドス・カラホス礁など)を含む。面積1979平方キロメートル、人口123万7000(2011センサス)、127万2000(2020世界銀行)、人口密度は1平方キロメートル当り643人であり、アフリカでもっとも人口の稠密(ちゅうみつ)な国の一つである。首都はモーリシャス島北西岸のポート・ルイス。正式名称はモーリシャス共和国Republic of Mauritius。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

自然

国土の91%を占めるモーリシャス島は、フランス領レユニオン島からセイシェル諸島に連なるマスカリーン海嶺(かいれい)上に噴き出した火山よりなる古い火山島である。全体に溶岩に覆われた緩やかな高原地形が卓越するが、島の中央部のカルデラ壁の一部や孤立峰の岩山などの特異な山地景観もみられる。沿岸にはサンゴ礁が発達する。気候は亜熱帯海洋性であり、南東貿易風に影響され、東岸や中央高原地域が多雨地域となる。年降水量は、最多の内陸部では5000ミリメートル以上に達するが、西岸では約750ミリメートルに減じ、塩田景観が広がる。気温は、年間を通じ20℃台前半が多い。月平均気温は、海岸部では夏季(12~3月)は約27℃、冬季(6~9月)は約22℃である。標高の高い内陸部ではさらに気温が2~7℃低い。夏季の日中でも、日陰に入れば涼しく、夜間は急に気温が低下するので不快なほど暑くはない。また、1~3月にはサイクロンが来襲して大きな被害をもたらすことがある。国土の土地利用状況をみると、農耕地45%、森林・放牧地28%、都市的土地利用24%などである。農耕地の90%はサトウキビ畑であり、自然植生は南西部のブラック・リバー渓谷付近にわずかに残存するのみである。絶滅動物のシンボルとされるハト目の大鳥ドードーがかつて存在していたことで知られるが、オランダ人入植後の17世紀後半に同鳥は絶滅した。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

歴史

長い無人島時代にも、アラブ人、マレー人、アフリカ人の一時的渡来はあったと思われる。モーリシャス島「発見」の最初の記録は、10世紀のアラブ人によるものである。1511年にポルトガル人が上陸し、1598年にはオランダ人が来島して、オランダ総督マウリッツにちなんでモーリシャス島と命名した。オランダ人はその後、マダガスカルなどから奴隷を移入し、バタビア(現、ジャカルタ)からサトウキビを導入したが、1710年に撤退した。1715年にフランス人が本格的な植民を開始し、1735年に総督に就任したマエー・ド・ラブルードネBertrand-François Mahé de La Bourdonnais(1699―1753)は植民地政府首都ポート・ルイスの建設、ポート・ルイス港の整備をはじめ、多くの開発・産業・治安政策を実施し、国家的基礎を築いた。しかし、ナポレオン戦争中の1810年にイギリスが島を占領し、1814年のパリ条約でイギリスの領有権が確定した。イギリスは、1833年の奴隷制度廃止法による奴隷解放ののち、アフリカ人にかえてインド人の年期契約労働者を導入した。1860年ごろには、インド人は全人口の3分の2を超える20万人に達した。第二次世界大戦後の1947年に自治が認められ独立運動が高まったが、インド人とクレオール(フランス人と黒人との混血)との対立から難航した。しかし、1965年のロンドンでの憲法制定会議で完全な内政自治権が委譲され、1968年3月にイギリス連邦内の自治国として正式に独立を達成した。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

政治

独立後の初代首相には、植民地政府の主席官僚であったS・ラムグーラムSeewoosagur Ramgoolam(1900―1985)が就任した。インド系住民を基盤としてラムグーラムが率いるモーリシャス労働党(MLP:Mauritian Labour Party)は、単独あるいは連立して政権を維持したが、1982年の総選挙ではクレオール系のモーリシャス闘争運動(MMM:Mauritian Militant Movement)とモーリシャス社会党(PSM:Mauritian Socialist Party)によるジュグノートAnerood Jugnauth(1930―2021)左派連合政権が誕生した。しかし、MMMの内紛、PSMの離反などにより、1983年同政権は崩壊し、首相のジュグノートはMMMを脱退しモーリシャス社会主義運動(MSM:Militant Socialist Movement)を結成して、同年の総選挙で勝利した。ところが長期間のジュグノート政権に批判が高まり、1995年12月の総選挙で与党MSMは議席を完全に失い、MLPとMMMとの連立内閣が成立する。その結果、MLP党主で初代首相の息子のN・ラムグーラムNavinchandra Ramgoolam(1947― )が首相となった。しかし、1997年7月に連立内閣は崩壊し、MLPによる単独内閣となった。2000年9月の総選挙ではMSMとMMMが連合を組んで過半数を獲得し、ジュグノートがふたたび首相になった。2005年7月の総選挙では、MLP主導の政党連合である社会同盟(AS:the Alliance Sociale)が勝利し、N・ラムグーラムが首相に返り咲き、2010年5月の総選挙でも再任された。

 2014年の総選挙では、N・ラムグーラム首相が打ち出した憲法改正を行い、大統領の権限を強化する案に対する国民の信任が得られず大敗し、再びジュグノート政権が発足した。2017年1月、ジュグノートは首相職を辞し、MSM党首に就任していた息子のP・K・ジュグノートPravind Kumar Jugnauth(1961― )が後継の首相に就任した。2019年11月の総選挙では与党連合が勝利し、P・K・ジュグノートは再任された。

 モーリシャスは、1992年に立憲君主制から大統領を元首とする共和制に移行したが、政治の実権は首相にある。大統領は国民議会で選出され、任期は5年である。国民議会は一院制で議席数は70(うち8議席は少数民族代表)、議員任期は5年である。外交は非同盟を基調とするが、アジアとアフリカの掛け橋として、とくにインド、中東諸国、東南アジア諸国、最近では中国との関係の緊密化が目だつ。

 なお、モーリシャス島北東1900キロメートルのチャゴス群島内のディエゴ・ガルシア島は、独立直前の1965年に島民の強制移住により軍事基地化されてイギリスに割譲させられた。1966年にアメリカ合衆国へ50年契約で貸与され、2016年に使用協定の期限を迎えたが、終了の通知がなかったため、2036年まで貸与が延長された。モーリシャス政府はイギリス政府に対して領土の返還要求を行っており、領土問題が係争中である。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

経済・産業

独立以後の経済成長をみると、アフリカ諸国としては異例ともいえる着実かつ目覚ましい経済発展を遂げてきた。年平均GDP成長率は、1975年と1980年を除けば毎年ほぼ年率3.5%以上の高率を示す。経済成長を支えてきたのは輸出の堅調な増加である。かつては砂糖が唯一の貿易品であったが、1970年代後半以降は輸出加工区製造業製品のシェアが急増し、2021年時点では約7割に達する。おもな輸出相手国はイギリス、フランス、アメリカ合衆国、南アフリカ共和国、おもな輸入相手国はインド、中国、南アフリカ共和国、フランスなどである。

 通貨はモーリシャス・ルピー。

 基幹産業砂糖産業、輸出加工区製造業、観光産業である。かつての主要産業であったサトウキビ農業が農耕地の約9割を占めるが、他の砂糖生産国との競争状況は厳しく、その産業経済的地位は大幅に低下した。製糖工場数も、1960年以降約20工場で推移してきたが、2000年以降の合理化によって2021年時点では4工場に集約された。輸出加工区は1971年に初めて設立され、以後モーリシャス全島各地に工業団地の立地が図られた。ところが、立地企業数は1980年代後半、雇用者数は1990年代前半、輸出額は2001年以降に減少傾向がみられ、輸出加工区全体の伸び悩みが顕著となってきた。この理由としては、繊維・縫製企業などの高度化していない業種に偏ってきたことを指摘できる。

 近年、島中央部のエベネ地区にビジネスパークが設立され、インド資本などのIT企業が集積しつつある。同地区へは、モーリシャス有力企業が、ポート・ルイスから本社を移転する動きもみられる。

 モーリシャスは「インド洋の楽園」とよばれるなど、高級海洋リゾートとしても知られている。外国人観光客数(フランス人が最多)や観光収入は急増しているが、ビーチ保全のための砂の投入によるサンゴへの悪影響、無人島でのゴルフ場建設など、自然環境の悪化が危惧(きぐ)される。2020年7月25日、日本の会社が保有・管理し、運行していたばら積み貨物船わかしおが、モーリシャス島南岸のサンゴ礁で座礁し、大量の重油を流出させた。重油は、モーリシャス島沿岸に到達し、環境保護地区の生態系を破壊して、同国の経済や食料安全保障、健康に深刻な影響を及ぼす事故となった。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

社会・文化

住民は複雑な植民史を反映してきわめて多様であり、インド人68%、クレオール27%のほかに中国人およびヨーロッパ人がいる。宗教もヒンドゥー教50%、キリスト教32%、イスラム教17%、仏教0.7%と多彩である。公用語は英語であるが、フランス語、クレオール語(フランス語およびバントゥー語、マダガスカル語などとの合成語)が普及しており、インド系住民の間ではヒンディー語が使われている。

 小・中学校からモーリシャス大学まで教育費は無償であり、教育水準は高い。国民のほとんどが英語とフランス語に堪能であることは特筆される。日刊紙には『ル・モーリシアン』などがある。国営のテレビ・ラジオ放送があり、使用言語はフランス語が多い。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

日本との関係

日本とは1968年(昭和43)に外交関係を樹立した。在マダガスカル日本大使館が業務を兼轄していたが、2017年1月に日本国大使館が開設された。日本へはおもに冷凍魚類(マグロ、キンメダイなど)、衣類、切り花(アンセリウムなど)を輸出し、自動車(乗用車、バス、トラック)を輸入している。在留邦人数は80人(2020)。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

『寺谷亮司著「モーリシャス―インド洋上の島嶼地域―」(池谷和信・武内進・佐藤廉也編『朝倉世界地理講座12 アフリカⅡ』所収・2008・朝倉書店)』


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改訂新版 世界大百科事典 「モーリシャス」の意味・わかりやすい解説

モーリシャス
Mauritius

基本情報
正式名称=モーリシャス共和国Republic of Mauritius 
面積=1969km2 
人口(2010)=128万人 
首都=ポート・ルイスPort Louis(日本との時差=-5時間) 
主要言語=クレオール語,ヒンディー語,英語(公用語) 
通貨=モーリシャス・ルピーMauritius Rupee

マダガスカル島の東方約800km,インド洋上のほぼ南緯20°,東経57°30′にあるモーリシャス島(面積1865km2)を主島とし,東方,東経63°30′のロドリゲス島Rodrigues Island(面積109km2。人口約3万),北方,南緯10°付近のアガレガ諸島などの小島(計71km2)をあわせた独立国。

モーリシャス島もロドリゲス島も火山性山島で,開析がかなり進んでいる。最高点は,主島では南西部のリビエール・ノアール山(827m),ロドリゲス島ではリモン山(396m)である。海岸線は小屈曲に富み,沖合にはサンゴ礁がよく発達している。熱帯海洋性の気候下にあり,月平均気温は海岸部で24~29℃,降水は11~4月の夏に多く,5~10月は比較的乾燥している。南東貿易風の圏内にあるため,風上斜面の高所では年4000mmを超える所もあるが,北西斜面の低所では1000mm以下となる。1~3月にはサイクロンにしばしば襲われる。
執筆者:

住民のほとんどはモーリシャス島に住んでいるが,その住民構成は歴史的事情により多彩である。総人口の2/3はインド人が占め,アフリカ黒人とフランス人などの白人との混血のクレオールが1/4を占める。さらに中国人が3万人ほど居住して中間階層を形成し,ヨーロッパ人の定住人口も1万人を数え,上流階層を占めている。宗教もヒンドゥー教(総人口の約1/2),イスラム(約1/6),キリスト教(約1/3),そして仏教などが入り乱れている。言語は英語が公用語とされているが,話す人は非常に少ない。フランス語を基調に,アフリカの諸言語と混成してできあがったクレオール語が,住民のほとんどに普及している。ほかにヒンディー語をはじめとするインド人の諸言語もかなり広く話されている。
執筆者:

モーリシャス島は紀元10世紀以前からアラブ航海者に知られ,15世紀にはマレー人も訪れているが,1510年ころポルトガル人がヨーロッパ人として初めて訪れたときには無人島であった。98年からオランダがインド航路の補給地として最初の植民を開始し,当時オランダが行っていた独立戦争の指導者であるオラニエ=ナッサウ家のマウリッツMauritsにちなみ島をマウリティウス(この英語名がモーリシャス)と名付けた。しかしオランダは島を1710年に放棄し,15年フランスがあらためて入植,フランス島(イル・ド・フランス)と改名した。フランスはアフリカ人奴隷を連行してサトウキビのプランテーションを始めた。ナポレオン戦争の最中の1810年イギリスが島を占領し,戦後イギリス植民地となった。33年に奴隷解放令を定めたイギリスは,アフリカ人奴隷にかえてインド人契約労働者を導入し,サトウキビのプランテーションを拡大していった。19世紀後半からは中国人も流入するようになった。第2次大戦後,島民の自治がしだいに拡大され,1967年の制憲会議の結果,68年3月12日独立した。

独立後,イギリス女王を国家元首とする立憲君主制をとってきたが,1991年12月憲法を改正し,92年3月には大統領を元首とする共和制に移行した。ただし実権は首相にある。初代首相にはジュグナウトが就任し,モーリシャス社会主義運動(MSM)など5党からなる連立政権を発足させた。95年12月に実施された総選挙でモーリシャス労働党(MLP)とモーリシャス闘争運動(MMM)の野党連合が与党連合を破り,全60議席を獲得,ラムゴーラムMLP党首が新首相に就任した。

 モーリシャスは独立後ただちに国連に加盟し,またアフリカ統一機構(OAU)に参加した。さらにアフリカ・マダガスカル共同機構にも加盟し,ECとの第2次ロメ協定にも調印した。イギリスとのあいだでは,MMMがモーリシャスへの返還を要求しているディエゴ・ガルシア島(軍事基地が置かれている)の問題が懸案の一つとなっている。さらに95年8月に南部アフリカ開発共同体に加盟し,観光部門の開発を担当し,南部アフリカ諸国との経済関係を深めるとともに,南アフリカ共和国やインドと協力して環インド洋構想を打ち出し,中東諸国や東南アジア諸国との関係も深めている。

モーリシャスはサトウキビ生産を主体とする農業国で,毎年平均60万~70万tの砂糖を生産し,総輸出額の60~80%を占めている。その他の主要農産物は茶,タバコ,米,バナナなどである。人口密度が高く,食糧が自給できないため,総輸入額の4分の1は米,小麦の穀物である。製造業は農産物加工がほとんどであったが,1970年代初め政府は輸出加工区をつくり,積極的な外資導入に努めたため,現在はエレクトロニクス,繊維製品も輸出するようになった。主要貿易相手国はイギリス,フランスである。観光業にも力を入れ,88年には24万人の外国人観光客があり,砂糖に次ぎ第2位の外貨獲得源になっている。85年以降輸出加工区による輸出額が砂糖輸出を上回るなど経済は多角化した。1人当りGNPは3000ドルを超え,アフリカでは数少ない高所得国となっている。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モーリシャス」の意味・わかりやすい解説

モーリシャス
Mauritius

正式名称 モーリシャス共和国 Republic of Mauritius。
面積 2007km2
人口 126万6000(2021推計)。
首都 ポートルイス

インド洋南西部,マダガスカル島東方約 800kmにある島国。主島モーリシャス島(面積 1865km2)を中心に,東方 550kmのロドリゲス島,北北東約 480kmのカルガドスカラジョス諸島,北方約 1000kmのアガレガ諸島からなる。モーリシャス島は周囲をサンゴ礁に囲まれた古い火山島で,北部は平野,南部は山地(最高点 828m)。南東貿易風地帯(→貿易風)にあり,南東部は湿潤,北西部は乾燥する。年平均気温はポートルイスで 23℃。年降水量は西部の海岸で約 900mm,南東部で約 1500mm,中央の高地では 5000mmをこえる。しばしばサイクロンに襲われる。原生林はほとんどなくなり,珍鳥ドードーも絶滅。住民はすべて移住者とその子孫で,3分の2がインド=パキスタン人,アフリカ人あるいはインド=パキスタン人とヨーロッパ人との混血が 4分の1を占め,ほかは中国人,フランス人を主とするヨーロッパ人など。人口密度はきわめて高い。ヒンドゥー教,キリスト教のカトリックイスラム教などが混在。公用語は英語だが,クレオル語(→ピジン=クレオル語)が広く用いられる。10世紀以前からアラビア人航海者などに知られていたが,1510年初めてポルトガル人が到来,当時は無人島であった。1598~1710年オランダが領有,1721~67年フランス東インド会社,1767年以降はフランス政府が支配。1810年イギリスが占領,1814年パリ条約でイギリスの領有が認められた。1947年から大幅な自治権が認められ,1965年にチャゴス諸島がインド洋イギリス領土 BIOTに分離されたのち,1968年イギリス連邦の一員として独立。1992年連邦を離れ,共和制に移行。海上交通の要地にあるため,1869年のスエズ運河開通まではインド洋航路の要衝であった。主産業は長らくサトウキビ栽培と製糖業で,ほかにチャ(茶),タバコなどを産したが,1980年代以降の多角化政策が奏効し,輸出加工区に投資を集め,繊維,食品加工などの工業,観光,金融業などが急成長を遂げている。日本やインドの技術供与による漁業も重要度を増している。

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百科事典マイペディア 「モーリシャス」の意味・わかりやすい解説

モーリシャス

◎正式名称−モーリシャス共和国Republic of Mauritius。◎面積−2040km2。◎人口−124万人(2011)。◎首都−ポート・ルイスPort Louis(13万人,2010)。◎住民−インド系69%,クレオール(混血)28%,中国系,白人など。◎宗教−ヒンドゥー教51%,キリスト教30%,イスラム17%など。◎言語−公用語は英語であるが,クレオール語,ヒンディー語が普及。◎通貨−モーリシャス・ルピーMauritian Rupee。◎元首−大統領,ピュリャグRajkeswur Purryag(2012年7月就任,任期5年)。◎首相−ジュグノートAnerood Jugnauth。◎憲法−1967年8月発効,1992年3月新憲法発効。◎国会−一院制(定員70,うち9は議長および特別選出議員,任期5年)。最近の選挙は2010年5月。◎GDP−87億ドル(2008)。◎1人当りGNI−5450ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−13%(1997)。◎平均寿命−男69.1歳,女75.8歳(2007)。◎乳児死亡率−13‰(2010)。◎識字率−87.9%(2009)。    *    *インド洋南西部,マダガスカル島の東方約750kmにある島国。主島モーリシャスのほかロドリゲス島など付属小島を含む。最高点は標高820m。周囲をサンゴ礁に囲まれる。湿潤・温和な気候に恵まれるが,サイクロンの被害を受ける。耕地の大部分がサトウキビの栽培に向けられ,砂糖が輸出される。茶の産もある。輸出加工区で生産される衣料・履物が輸出の第1位を占める。 1507年―1512年の間にポルトガル人が来航したときは無人島であった。1598年オランダがインド洋航路の要地として植民を開始した。1715年フランス領となり,1810年英軍が占領,1814年英領とした。英国はサトウキビ栽培のため,多くのインド人を入植させた。1968年イギリス連邦内で独立,1992年共和制に移行した。2000年9月総選挙で,戦闘的社会主義運動(MSM)とモーリシャス闘争運動(MMM)の野党連合が大勝した。2002年2月ウティーム大統領(1992年6月就任,1997年6月再選)が辞任。2003年9月に首相に就任したMMMのベランジェ(フランス系)は,独立以来初の非インド系首相。2005年7月の総選挙では労働党党首ラムグーラム率いる野党連合が勝利し,ラムグーラムが首相に復帰した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「モーリシャス」の解説

モーリシャス
Mauritius

マダガスカル東方の島国。インド洋交易の拠点として15世紀マレー人も来訪。16世紀末オランダが植民し,18世紀初頭フランス領,19世紀初頭イギリス領に。アフリカ人奴隷,インド人・中国人契約労働者がサトウキビ栽培に従事。1968年独立。

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