ヨハネス22世(読み)ヨハネスにじゅうにせい(英語表記)Johannes XXII

改訂新版 世界大百科事典 「ヨハネス22世」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス[22世]
Johannes ⅩⅩⅡ
生没年:1249-1334

ローマ教皇在位1316-34年。フランスのカオールに生まれ,パリで学び,1300年フレジュスの司教となり,10年後アビニョンに移る。教皇クレメンス5世により12年枢機卿となり,16年から教皇に就任。以後アビニョンの教皇宮廷を確立し,フランシスコ会心霊派の清貧観を批判し,皇帝ルートウィヒ4世を異端として破門した。教皇はローマ教会の組織化,教皇庁財政再建に顕著な成果をあげたが,親族優遇の傾向が強かった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハネス22世」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス22世
ヨハネスにじゅうにせい
Johannes XXII

[生]1249. カオル
[没]1334.12.4. アビニョン
フランス出身の教皇 (在位 1316~34) 。本名 Jacobus Arnaldi de Uza (フランス名 Jacques Dués) 。ツールーズ大学では法学を講じた。すでに老齢になってから一時つなぎの教皇として選出されたが長期間在位し,この間教皇庁の財政を再建し,全司教の任命権を掌握し,複数の聖職禄を得ることを禁じた。ドイツ王ルートウィヒ4世と激しい闘争を展開し,1324年彼を破門。 28年ローマ入りしたルートウィヒはコロンナより帝冠を受け,教皇を廃位して対立教皇ニコラス5世を擁立したが支持を得られず,イタリアでも権力を失った。清貧をめぐるフランシスコ会内の厳格派とコンベントゥアル派の間の論争では,極端な厳格派を排斥。彼の発した 20の法令はのちに教会法に付加された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヨハネス22世」の解説

ヨハネス22世(ヨハネスにじゅうにせい)
Johannes ⅩⅩⅡ

1245?~1334(在位1316~34)

第2代アヴィニョン教皇。フランス人。ドイツ皇帝選挙の争いに干渉し,バイエルンのルートヴィヒ4世を破門,俗権,皇帝教皇主義と戦った。教皇庁の整備,アジア布教にも努力した。

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世界大百科事典(旧版)内のヨハネス22世の言及

【フラティチェリ】より

…指導者はアンジェロ・クラレーノが知られている。1317‐23年のヨハネス22世の大教書にもとづいて,二つの教会論(肉的富裕教会=ローマ教会,霊的貧困教会=同派の教会),誤謬教会・聖職者の霊力と裁判権の否定,同派によるキリストの福音の完成等を説き,これが既成教会体制への挑戦と受けとられ,異端とされた。15世紀中葉に追放,逮捕,処刑されるものが多く出て,下火となった。…

※「ヨハネス22世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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