ヨハネス23世(読み)ヨハネスにじゅうさんせい(英語表記)Johannes XXIII

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハネス23世」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス23世
ヨハネスにじゅうさんせい
Johannes XXIII

[生]?. ナポリ
[没]1419.11.22. フィレンツェ
大分裂の時代の対立教皇在位 1410~15)。本名 Baldassare Cossa。ボローニャ大学法学博士号を取得して教皇庁に入り,1402年に枢機卿(→カーディナル)となった。教皇グレゴリウス12世(在位 1406~15)と対立教皇ベネディクツス13世(在位 1394~1417)によって二つの教皇庁の対立は悪化しており,1408年にグレゴリウス12世のもとを離れた。1409年,教会統一しようとピサ教会会議を主導し 2人の教皇を廃位してアレクサンデル5世(対立教皇。在位 1409~10)を選出したが,2人は廃位に応じず,3教皇鼎立の事態となった。1410年5月にアレクサンデル5世が死去すると,ヨハネス23世として登位した。1414年,のちの神聖ローマ皇帝ジギスムント(在位 1433~37)の説得を受けコンスタンツ公会議を招集したが,ドイツ,イギリス,フランスの国民は 3教皇の退位を求めた。ヨハネス23世は公会議をつぶそうと企て逃亡したが,これに反発した公会議はヨハネス23世の拘束を命じ,1415年5月に廃位した。コンスタンツ公会議は教皇マルチヌス5世(在位 1417~31)を新たに選出し,教会の統一が回復された。ヨハネス23世は教皇マルチヌス5世の選出を受け入れ,新教皇によってツスクルムの司教枢機卿に任命されたが,数ヵ月後に死去した。

ヨハネス23世
ヨハネスにじゅうさんせい
Johannes XXIII

[生]1881.11.25. ソットイルモンテ
[没]1963.6.3. ローマ
イタリア人教皇 (在位 1958~63) 。 1904年神学博士,司祭。本名 Angelo Roncalli。 15年から第1次世界大戦に従軍後,20年布教聖省に入る。 25年名義大司教となり,ブルガリアトルコなどに使節として送られ,44年フランスの教皇大使。 46~53年バチカンのオブザーバーとしてユネスコでも活躍。 53年枢機卿,ベネチア総大司教。 58年教皇。 59年第2バチカン公会議提唱,62年開会。自由討論のなかに新しい道を探り,教会合同にも熱意を示し,ギリシア正教会総大主教,カンタベリー大主教,スコットランド改革教会議長らと会見し,みずからビザンチン式典礼のミサを挙行した。回勅パーチェム・イン・テリス』 Pacem in terris (63) では人間間の問題,市民としての権利と義務,国家間の問題などを論じた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヨハネス23世」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス[23世]
Johannes ⅩⅩⅢ
生没年:1370ころ-1419

ローマ教皇(対立教皇)。在位1410-15年。ナポリの貧窮貴族の家に生まれ,ボローニャで法学を修め,1402年枢機卿となり,教皇政策で重要な役割を演ずる。10年教皇に選ばれたが,その有効性は問題視されている。コンスタンツ公会議を召集したが,議決方法が不利と判断して去り,公会議は教皇に対する公会議の優越を決議し,同教皇を罷免した。彼はドイツ皇帝ジギスムントによって捕らえられ,3年間ドイツに抑留後,19年に解放された。
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20世紀西洋人名事典 「ヨハネス23世」の解説

ヨハネス23世
Johannes ⅩⅩⅢ


1881.11.25.(1888.説あり) - 1963.6.3
イタリアの聖職者。
ローマ教皇。
ベルガモ近郊生まれ。
本名アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカルリ。
北イタリアの貧しい農家に生まれ、ベルガモ教区神学校、サン・アポリナーレ神学校に学ぶ。1904年に僧職に入り、’05〜14年ベルガモ司教秘書を務める。’25年アレオポリス大司教、’53年枢機卿・ベネチア総大司教を経て、’58年10月教皇に選出される。’62年に他教派のオブザーバーを多数招き、第2バチカン公会議第1会期を召集、世界に開かれた教会の使命を示した。著書に「母と師」(’61年)、「地上に平和を」(’63年)。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヨハネス23世」の解説

ヨハネス23世(ヨハネスにじゅうさんせい)
Johannes ⅩⅩⅢ

1881~1963(在位1958~63)

ローマ教皇。イタリア人。農民出身。1953年ヴェネツィア総大司教になるまで教皇使節として東欧諸国に駐在。教皇即位後,回勅,教会会議を通じ世界平和,教会合同などを呼びかけた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「ヨハネス23世」の解説

ヨハネス23世

生年月日:1881年11月25日
教皇(在位1958〜63)
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヨハネス23世の言及

【コンスタンツ公会議】より

…それを終わらせようと1409年に招集されたピサ教会会議は,ローマのグレゴリウス12世とアビニョンのベネディクトゥス13世とをともに罷免し,新たにアレクサンデル5世を教皇に選んだが,2人の前教皇が罷免を承認しなかったので,かえって3人の教皇が鼎立する結果となった。この異常な事態を解決するために神聖ローマ皇帝ジギスムントの強い要請に基づき,アレクサンデル5世の後任教皇ヨハネス23世が14年11月5日に招集したのがコンスタンツ公会議で,18年4月22日まで続いた。他の2人の教皇は欠席した。…

※「ヨハネス23世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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