ヨハネス6世(読み)ヨハネスろくせい(英語表記)Johannes VI Cantacuzenus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハネス6世」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス6世
ヨハネスろくせい
Johannes VI Cantacuzenus

[生]1292
[没]1383.6.15.
ビザンチン皇帝 (在位 1347~54) 。ヨハンネス (ヨアンネス) 6世とも呼ばれる。カンタクゼヌス家出身で,1328~41年アンドロニクス3世の政治顧問をつとめ,司法上の諸改革,エピルステッサリアの領土回復などすぐれた業績をあげた。アンドロニクス3世の死後,9歳の幼児皇帝ヨハネス5世摂政となった。しかし同皇帝の母アンナと対立,41年 10月反対皇帝を名のり,6年間の内乱後,トルコ軍の協力を得て首都コンスタンチノープル入城を果し,47年5月ヨハネス5世と並んで即位実権を握った。ヨハネス5世との共治は前途を不安にしたが,即位7年後,ベネチアと同盟を結んだヨハネス5世に地位を追われ,首都のマンガナ修道院に入った。そこで神学上の著作,回想録および 1320~57年頃までを扱った『歴史』 Historiaを著わし,歴史家としてもすぐれた業績を残した。

ヨハネス6世
ヨハネスろくせい
Johannes VI

[生]?. ギリシア?
[没]705.1.11. ローマ
ギリシア出身とされる第85代教皇(在位 701~705)。701年10月に教皇として登位。ビザンチン帝国の総督テオフィラクツスがシチリア島からイタリア本土に侵攻した際,反発するイタリア人からテオフィラクツスを保護した。ベネベントのジスルフォ公がローマの領地南部との境界を越えて侵攻すると,捕虜救出のため身代金を支払い,金銭を贈って撤退を迫った。1通だけ現存するヨハネス6世の手紙には,ヨークの司教ウィルフリドの追放を撤回する命令が記されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヨハネス6世」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス[6世]
Johannes Ⅵ Cantacuzenus
Iōannēs Ⅵ Kantakouzēnos[ギリシア]
生没年:1292-1383

ビザンティン帝国の皇帝。在位1347-54年。軍人政治家でアンドロニコス3世の宰相。同帝の死後ヨハネス5世(9歳)の摂政問題で皇妃アンナ派と対立,反対皇帝を名のる。6年間の権力争いののち実権を握り,ヨハネス5世と並んで即位(1347)。しかし7年後には同帝により退位させられ,修道士となる。ヘシュカスモス静寂主義擁護の神学論や回想録風の《歴史》(1320-57ころまでを扱う)を残した。
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世界大百科事典(旧版)内のヨハネス6世の言及

【ビザンティン文学】より

…修辞学の技術を最高度に駆使した代表的なジャンルが,皇帝や国家・教会高官にささげられた,エンコミアenkōmiaと呼ばれた数多くの賛美演説,その反対の,プソゴスpsogosと呼ばれた非難演説(なかでも興味ある一事例は,皇帝ユリアヌス作のアンティオキア市民に対する《ひげ嫌い》の作品),墓碑銘と弔辞,その他の機会の演説,君主の鑑(たとえば,アガペトスがユスティニアヌス1世に,オフリト大主教テオフュラクトスがドゥカス家のコンスタンティノスに,ニケフォロス・ブレミュデスが弟子たる若き皇太子テオドロス2世ラスカリスに,マヌエル2世が後継者たる子のヨハネス8世にあてたもの),自伝(リバニオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ミハエル8世,キュドネス・デメトリオス),都市や教会の描写(テオドロス・メトヒテスのコンスタンティノープル,パウロス・シレンティアリオスのハギア・ソフィアなど)などである。
[歴史叙述]
 ビザンティン帝国の歴史はそのほぼ全期間がプロコピウスプセロスアンナ・コムネナ,ニケタス・ホニアテスNikētas Chōniatēs(1155ころ‐1215∥16),ヨハネス6世カンタクゼノスIōannēs VI Kantakouzēnos(在位1341‐54)その他の史書や,歴史の主人公でもある皇帝,皇子,皇女,高官などの自身による同時代史叙述によっておおわれている。歴史家の多くは叙述場面への自己投入の卓越した技術を自家薬籠中のものとし,また,皇帝とその政策をしばしば批判の対象に据える。…

【ビザンティン文学】より

ギリシア文学【渡辺 金一】。。…

【ビザンティン文学】より

…最も正確にある話を人前で述べ,何かを叙述し,一命題について賛成,反駁を行い,一つのメンタリティになりきって考え,個々の主題を根拠づける等々の諸形式にのっとって作文を書かせる,プロギュムナスマタprogymnasmataと呼ばれた数多くの下稽古作品には,凡庸な大多数の綴方に交じって,ギリシア神話に題材を求めた,バシラケスNikēphoros Basilakēs(1115‐80ころ)の《一頭の牡牛に熱愛されてパシファエは何といったか》のような性的倒錯症を思わせるものや,風呂好きの享楽主義者である一府主教を取り上げた,エウスタティオス(12世紀)の《モキッソス府主教は,恩人である至聖の総主教ミハエルの死去の翌日に入浴中,大オイコノモス職のパンテクネスの指令により,ベッドカバー,湯上りタオルその他が取り上げられ,まちの貧乏人たちに施物として与えられたとき,何といったか》のような実話もどきのものも含まれている。修辞学の技術を最高度に駆使した代表的なジャンルが,皇帝や国家・教会高官にささげられた,エンコミアenkōmiaと呼ばれた数多くの賛美演説,その反対の,プソゴスpsogosと呼ばれた非難演説(なかでも興味ある一事例は,皇帝ユリアヌス作のアンティオキア市民に対する《ひげ嫌い》の作品),墓碑銘と弔辞,その他の機会の演説,君主の鑑(たとえば,アガペトスがユスティニアヌス1世に,オフリト大主教テオフュラクトスがドゥカス家のコンスタンティノスに,ニケフォロス・ブレミュデスが弟子たる若き皇太子テオドロス2世ラスカリスに,マヌエル2世が後継者たる子のヨハネス8世にあてたもの),自伝(リバニオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ミハエル8世,キュドネス・デメトリオス),都市や教会の描写(テオドロス・メトヒテスのコンスタンティノープル,パウロス・シレンティアリオスのハギア・ソフィアなど)などである。
[歴史叙述]
 ビザンティン帝国の歴史はそのほぼ全期間がプロコピウスプセロスアンナ・コムネナ,ニケタス・ホニアテスNikētas Chōniatēs(1155ころ‐1215∥16),ヨハネス6世カンタクゼノスIōannēs VI Kantakouzēnos(在位1341‐54)その他の史書や,歴史の主人公でもある皇帝,皇子,皇女,高官などの自身による同時代史叙述によっておおわれている。…

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