ラファルグ(読み)らふぁるぐ(英語表記)Paul Lafargue

精選版 日本国語大辞典 「ラファルグ」の意味・読み・例文・類語

ラファルグ

(Paul Lafargue ポール━) フランス社会主義者マルクス女婿。第一インターナショナル、パリコンミューン参加したが敗れ、亡命。帰国後フランス労働党創設指導。のち夫妻で自殺主著「財産進化論」。(一八四二‐一九一一

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「ラファルグ」の意味・読み・例文・類語

ラファルグ(Paul Lafargue)

[1842~1911]フランスの社会主義者。マルクス次女結婚第一インターナショナルパリコミューンに参加。フランス労働党を創立した。著「怠ける権利」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラファルグ」の意味・わかりやすい解説

ラファルグ
らふぁるぐ
Paul Lafargue
(1842―1911)

フランスの社会主義者。サンティアゴ・デ・キューバに生まれる。9歳でフランスに渡り、パリで医学を修めた。プルードン主義の影響を受け、反帝(反ナポレオン)運動にかかわって大学を追われ、ロンドンに亡命。そこでマルクスと知り合い、彼の次女ラウラLauraと結婚(1868)。1866年に第一インターナショナル評議会メンバーとなり、パリ・コミューンに参加。敗北後スペインに亡命し、反バクーニン主義の闘争を展開した。1880年に大赦で帰国、その後二度投獄され(1883、1891)、1891年には下院議員に当選。ゲードとともにフランス労働党の結成に力を注ぎ、1905年までその指導にあたった。ドレフュス事件(1894)を契機にゲードとの対立が深まり、彼と決別した。不十分なドイツ語の能力を克服してマルクス、エンゲルスの著作の多くをフランス語に翻訳し、マルクス主義をフランスに導入、普及させた。晩年厭世(えんせい)観に陥り、年老いて生き長らえることに抗し、1911年11月25日の夜、観劇を終えてドラベーユの自宅で妻とともに自殺した。

[佐藤 清]

『P・ラファルグ著、田淵晉也訳『怠ける権利』(平凡社ライブラリー)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ラファルグ」の意味・わかりやすい解説

ラファルグ
Paul Lafargue
生没年:1842-1911

フランスの社会主義者。キューバのサンチアゴに生まれた。P.J.プルードンの影響の下に,学生時代から社会主義運動を行い,大学を追われ,ロンドンに移住した。ここでマルクスと知り合い,1869年彼の次女ラウラと結婚した。パリ・コミューン時代には大きな活躍をしたが,これに失敗した後,スペインへ亡命した。81年帰国して,J.ゲードとともにフランス労働党を結成し,1905年までその指導にあたった。1891年下院議員となったが,1911年厭世観に陥り,ドラベーユで夫婦ともに自殺した。革命的集産主義の理論と実践に身をうちこんだことと,マルクス,エンゲルスの著作の仏訳などによりマルクス主義をフランスに普及させたことは,彼の大きな業績である。主著として《怠ける権利》(1883),《歴史における観念論と唯物論》《所有権,その起原と発展》(ともに1895)などがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「ラファルグ」の意味・わかりやすい解説

ラファルグ

フランスの社会主義者。第二帝政下,反帝政学生運動に従事してロンドンに亡命,マルクスと相知り,その娘ラウラと結婚。パリ・コミューンに参加後スペインに亡命。1881年に帰国後,ゲードとともにフランス労働党を結成,フランスにマルクス主義を導入した先駆者となった。妻とともに自殺。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラファルグ」の意味・わかりやすい解説

ラファルグ
Lafargue, Paul

[生]1842.1.15. サンチアゴ
[没]1911.11.25. ドラベイユ
フランスの社会主義運動家。 1865年第1インターナショナルに参加。 69年ロンドンでマルクスの娘ラウラと結婚し,帰仏して,80年フランス労働党の創立に加わった。 85~1904年『社会主議評論』 Revue Socialiste誌,次いで『社会主義者』 Le Socialiste誌を発行。 1885~94年リール選出の代議士。 99年には政府への社会主義者の参加を非難した。老いを嫌って夫人とともに自害した。主著は『社会経済学講義』 Cours d'économie sociale (1884) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「ラファルグ」の解説

ラファルグ

生年月日:1842年1月15日
フランスの社会主義運動家
1911年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のラファルグの言及

【ゲード】より

…しかしミラノ滞在中に労働者組織と接触してマルクス主義に転じ,76年に帰国後,社会主義新聞《レガリテL’Égalité》を発刊,ジャーナリストとして復活するとともに,再生しつつあったフランス社会主義運動と労働運動の中で重要人物となった。P.ラファルグを通じてマルクスとも知りあった彼は,ラファルグと共にフランス労働党結成に参画。その綱領(1882年ル・アーブル大会で採択)は,同国初のマルクス主義的政治綱領といわれる。…

※「ラファルグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android