改訂新版 世界大百科事典 「ラルゴカバリェロ」の意味・わかりやすい解説
ラルゴ・カバリェロ
Francisco Largo Caballero
生没年:1869-1946
セッコウ細工師で,スペイン社会党指導者。マドリードに生まれる。1890年社会党系労働組合〈労働者総同盟〉へ加入。労働組合時代の手腕により社会党入党時(1894)から党創立者P.イグレシアスの右腕となる。党内では過激派の領袖として位置し,1917年のゼネストを主導した。そのため投獄されたが翌年恩赦により出獄。軍事独裁政権(1923-30)崩壊後は反王政運動を展開し,このころソ連へ接近した。31年4月,第二共和国臨時政府の労働大臣に就任し,同年国会議員となるが,アストゥリアス革命(1934)を指揮し再び入獄する(1936まで)。内乱勃発後の36年9月,内閣首班となりアナーキストとの統一(プロレタリア戦線)を試みるが,アナーキストと反スターリン主義者を排除して社会党との連合(統一戦線)を主張する共産党と対立し,8ヵ月後に退陣した。内戦末期,フランスへ亡命したが,ドイツ軍により強制収容所へ送られた。45年解放され,翌年パリで死去した。
執筆者:鈴木 昭一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報