リッコボーニ(英語表記)Luigi Riccoboni

改訂新版 世界大百科事典 「リッコボーニ」の意味・わかりやすい解説

リッコボーニ
Luigi Riccoboni
生没年:1676-1753

イタリアの俳優。通称レリオ。父親は当時の有名なパンタローネ役者アントニオ・リッコボーニであるが,彼自身は悲劇を得意とした。妻フラミーニアとともに〈レリオとフラミーニア一座〉を結成(1706-15),イタリアとフランスの悲劇を上演した。1715年招かれてパリに行き,演劇活動のかたわら多くの著作活動を行い,マリボーなどの文人交友を結んで新人作家を助成した。当時フランス悲劇の主流だった誇張されたデクラメーション朗唱朗読)を批判し,より自然な〈せりふ術〉を唱えた。主著に《イタリア演劇史》《ヨーロッパ演劇史挿話》《演劇の改革》がある。また,息子フランソア(フランチェスコ)・リッコボーニ(1707-72)との対話による《演劇論》があり,これは今日においても注目に値する演劇論・演技論として知られる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リッコボーニ」の意味・わかりやすい解説

リッコボーニ
りっこぼーに
Luigi Andrea Riccoboni
(1676―1753)

イタリアの俳優。モデナに生まれる。父はコメディア・デラルテの名パンタローネ役アントニオAntonio。若い恋人(レリオ)役を勤め、同じくフラミニア役の妻とともに一座をつくり、即興喜劇のほかに悲劇も上演した。1715年オルレアン公の庇護(ひご)の下に「国王劇団」が設立されると、パリに招かれ、座長として運営にあたり、コメディア・デラルテの改革を通してフランス喜劇に多大な影響を与えた。また筋書き喜劇のほか、『イタリア演劇史』(1728)や『演劇改革論』(1743)など貴重な著書を残した。その子アントニオ・フランチェスコAntonio Francesco R.(1707―72)は、パリの「イタリア劇団」でレリオ役を勤めるかたわら、喜劇作品や『演劇論』(1750)を出版し、その妻マリー・ジャンヌ・ド・ラ・ボラMarie-Jeanne de la Boras(1713―92)も、マリボー風の喜劇を残し、ディドロとも親交をもって、マダム・リッコボーニの名で広く知られた。

赤沢 寛]

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