リー(Spike Lee)(読み)りー(英語表記)Spike Lee

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

リー(Spike Lee)
りー
Spike Lee
(1957― )

アメリカの映画監督アトランタ生まれ。本名はシェルトン・ジャクソン・リーShelton Jackson Leeで、「スパイク」は教師であった母親が赤ん坊のころにつけたニックネームである。父親は著名なジャズ・ミュージシャン兼作曲家ビル・リーBill Lee(1928―2023)で、彼の仕事の関係からシカゴを経て、ニューヨークブルックリンへと転居、スパイクはこの町をホームタウンとして成長する。祖父や父の出身校であるアトランタの黒人大学モアハウス大学時代に映画製作を始め、卒業後にニューヨーク大学映画学科に入学。1980年に1年生の彼が製作・監督した最初の短編『ジ・アンサー』The Answerは、南部側を正当化する視点から南北戦争を扱い、人種問題への態度で非難されてきたD・W・グリフィス監督の『国民の創生』(1915)のリメイクのために雇われた黒人の脚本家の物語であった。卒業製作である『ジョーズ・バーバー・ショップ』(1983)が、学生アカデミー賞やスイスのロカルノ映画祭で銅賞に輝くなど高い評価を受け、続く初の商業映画『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』(1985)で、カンヌ国際映画祭新人賞、インディペンデント・スピリット・アワーズ処女作品賞、ロサンゼルス映画批評家協会の新世代賞などを受賞。同時期にいくつか生まれたインディペンデント映画の代表的な作品の一本に数えられるばかりか、その後に広がりをみせた若いアフロ・アメリカン監督による映画の新たな潮流の旗手として注目を集めた。『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』は、3人の男性の間を渡り歩く黒人の若い女性を主人公とする。性描写もかなり存在するが、登場人物がカメラ=観客に向かって語りかける場面や、時系列を入り組ませて綴(つづ)られるストーリー展開など、アーティスティックな実験や卓越した構成力が、この作品を安手のポルノ映画と似て非なるものにしている。リーの戦略は、「黒人=性への関心が強い」といった性にかかわる黒人への人種的偏見をあえて逆利用し、洗練されたスタイルで再呈示することにある。そこで黒人女性はある意味で男性を選択しうる能動的な主体として位置づけられ、3名の黒人ボーイフレンドを三者三様の(これも戯画化された)ステレオタイプに設定することで、黒人男性の一様ではない多様性およびそれと裏腹に互いにいがみ合い、足の引っ張り合いに終始する彼らの偏狭さを浮き彫りにする。そうした視点は、続くモアハウス大学での自身の体験を背景にした『スクールデイズ』(1988)でも継承され、南部の「黒人大学」を舞台に展開される党派争いを、古典的なミュージカルの要素も交えて描き、ひとくくりに「黒人」と総称されがちな黒人の若者間に横たわる対立と多様性を描きだした。しかし、リーの政治的な立場が一躍クローズアップされ、その是非をめぐってさまざまな議論が巻き起こったのは、長編第三作の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989)においてのことである。

 物語の舞台は、黒人とプエルトリカンが住人の大半を占めるブルックリンの一画。ラジオ・カセットレコーダーからヒップ・ホップ音楽を大音量で鳴り響かせながら街を歩く黒人男性が警官に殺害されたことをきっかけに、黒人たちのフラストレーションが爆発、イタリア人経営のピザ屋を発火点に暴動の広がる過程が、うだるような暑さにみまわれたストリートの24時間のできごととしてつづられる。映画をめぐる議論は、映画監督がラストの暴動を肯定的にとらえたか否か、との問題に収斂(しゅうれん)され、その問題に対する回答として、映画のラストに、暴力を徹底して否定したマーチン・ルーサー・キングのことばと、自衛や権力を倒すために暴力も辞さない立場を鮮明にしたマルコム・エックスのことばが字幕で並置された。ただし、問題含みの内容ながら作品としての完成度の高さや力強さは疑うべくもなく、アカデミー賞で2部門、ゴールデン・グローブ賞で4部門のノミネートを受け、ロセンゼルスとシカゴで映画批評家協会最優秀監督賞を受賞。その後、1960年代以来の黒人の政治運動におけるキングとマルコム・エックスの対立について、リーははっきりと後者に加担する映画を撮る。それが、1960年代に活躍し、道なかばにして暗殺されたカリスマ的な黒人活動家の生涯を描く大作『マルコムX』(1992)である。このプロジェクトについては、黒人監督である自分が監督するべきだ、と主張し続けてきたリーが望みどおり監督の座を射止め、これまでにない規模の予算も獲得、自ら先頭にたって周到な宣伝戦略も展開させた。冒頭のタイトルバックには、1992年の「ロス暴動」の引き金になった「ロドニー・キング事件」(白人警官による黒人のロドニー・キングRodney King(1965―2012)に対する集団暴行事件)の映像が燃える星条旗とともに画面に現れ、ラストには監獄から釈放されたネルソン・マンデラが登場。リーのマルコム・エックス再評価の企ては、過去の歴史上の偉人としての位置づけを目ざすものではなく、いまなお解決からほど遠い状況にある人種問題の再考を観客に促すためのものであった。

 優れたミュージシャンであった父親を尊敬しつつ、彼に欠けていた経済感覚こそ、とりわけアフロ・アメリカンの表現者の今後にとって必要で、芸術家は企業家でもあるべきだ、との持論をリーはもつ。『マルコムX』の宣伝活動もそうした文脈でとらえられるべきで、彼の広範囲に及ぶ活動についても同様である。映画以外にも、多くのアーティストのミュージック・ビデオの製作・監督を手がけ、ナイキやアメリカン・エクスプレスなどの世界的な大企業のテレビCMでも成功を収めている。ドキュメンタリー作品も数多く発表。長編劇映画としては、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの傷跡も生々しいニューヨークを舞台にした『25時』(2002)で、主要キャストに黒人を含まない物語を重厚なタッチで演出、映画監督としての成熟を印象づけた。

[北小路隆志]

資料 監督作品一覧

ジョーズ・バーバー・ショップ Joe's Bed-Stuy Barbershop : We Cut Heads(1983)
シーズ・ガッタ・ハヴ・イット She's Gotta Have It(1985)
スクール・デイズ School Daze(1988)
ドゥ・ザ・ライト・シング Do the Right Thing(1989)
モ’・ベター・ブルース Mo' Better Blues(1990)
ジャングル・フィーバー Jungle Fever(1991)
マルコムX Malcolm X(1992)
クルックリン Crooklyn(1994)
クロッカーズ Clockers(1995)
キング・オブ・フィルム 巨匠たちの60秒 Lumière et Compagnie(1995)
ガール6 Girl 6(1996)
ゲット・オン・ザ・バス Get on the Bus(1996)
ラストゲーム He Got Game(1998)
サマー・オブ・サム Summer of Sam(1999)
キング・オブ・コメディ The Original Kings of Comedy (2000)
10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス~「ゴアVSブッシュ」 Ten Minutes Older : The Trumpet - We Wuz Robbed(2002)
25時 25th Hour(2002)
セレブの種 She Hate Me(2004)
それでも生きる子供たちへ~「アメリカのイエスの子ら」 All the Invisible Children - Jesus Children of America(2005)
インサイド・マン Inside Man(2006)
セントアンナの奇跡 Miracle at St. Anna(2008)

『田中アリサ訳『スパイク・リーの軌跡』(1993・マガジンハウス)』『ジェフ・アンドリュー著、鹿田昌美訳『インディーズ監督 10人の肖像――もうひとつのハリウッド・ドリーム』(1999・キネマ旬報社)』

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