ルイ7世(読み)ルイななせい(英語表記)Louis VII, le Jeune

改訂新版 世界大百科事典 「ルイ7世」の意味・わかりやすい解説

ルイ[7世]
Louis Ⅶ
生没年:1120ころ-80

カペー朝第6代のフランス王。在位1137-80年。父ルイ6世の政策を継ぎ,イル・ド・フランスの聖俗諸侯を服属させ,王権の強化をはかった。ユリの花を王家紋章定め,第2回十字軍にも参加。1154年,アキテーヌ公領の相続者である王妃アリエノール(エレオノール)を離婚,フランス王権に重大な政治的結果を招来する素因をつくった。アリエノールはまもなくノルマンディー公領の継承者でもあるアンジューアンリ(のちのイギリス王ヘンリー2世)と再婚したため,ノルマンディー,アンジュー,アキテーヌを結ぶ西フランスの広大な領域がイギリス王の領有するところとなったからである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルイ7世」の意味・わかりやすい解説

ルイ7世
ルイななせい
Louis VII, le Jeune

[生]1120頃
[没]1180.9.18. パリ
フランス王 (在位 1137~80) 。カペー家出身。ルイ6世長男。「若年王」と呼ばれる。父王以来の政治顧問,特にサン・ドニ修道院院長シュジェールを重用し,父王の政策を継承してイルドフランスを平定し,シャンパーニュ伯と争ってこれを制圧した。 1145年第2次十字軍遠征に陸路出陣,小アジア横断中に大損害を受け,ダマスカスを占領できないまま帰国した。妃エレオノール・ダキテーヌ (エリナー,アキテーヌの) と離婚 (52) ,その婚資アキテーヌ地方を失ったが,エレオノールがアンジュー伯アンリ・プランタジュネに再嫁し,次いでアンリがイングランド王位を継承 (ヘンリー2世) したためイングランド王の広大な大陸領が形成されることになり,以後のフランス王権の伸張にとって大きな障害を残した。

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世界大百科事典(旧版)内のルイ7世の言及

【カペー朝】より

…フランスの王朝。987年,ルイ5世の死によって西フランクにおけるカロリング家の血統が絶え,フランス公のロベール家からユーグ・カペーが選立されて王位についたのに始まる。以後シャルル4世がカペー家直系の男子相続人なしに死亡する1328年までフランスに君臨した王朝で,この王朝の誕生とともにフランス国家の歴史が始まった。…

※「ルイ7世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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