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ルイ・フィリップ Louis Philippe

世界大百科事典 第2版の解説

ルイ・フィリップ【Louis Philippe】

1773‐1850
フランス最後の国王。在位1830‐48年。オルレアン公フィリップ・エガリテの長男。百科全書派(アンシクロペディスト)の影響からフランス革命に同調し,国民軍ジャコバン・クラブに加入,また連合国軍との戦いに加わり各地を転戦したが,恐怖政治の出現で亡命した。王政復古後はブルボン王党派に排斥され,フランスへの最終的な帰国は1817年となった。七月革命が実現すると,ラフィットら銀行家の支持で王位に就いたが,民衆運動を抑圧するとともに,商工業の生み出す富が銀行家の手に独占される傾向を促し,そのため〈株屋の王〉などと呼ばれ,鋭い批判を浴びた。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のルイ・フィリップの言及

【オルレアン王党派】より

…オルレアン王党派は王政復古期には自由主義的反対派として政府と対立し,1830年の七月革命によって政権の座についた。七月王政は,オルレアン公ルイ・フィリップ(先のオルレアン公の子)を国王とし,大商人,自由主義的大貴族,法律家,ナポレオン帝政期の貴族,大学教授などの名士に支持基盤をおいていた。オルレアン王党派は社会的地位と富におけるエリート集団をなしており,政治的には中庸を旨とし,無政府主義にも専制主義にも反対し,民主主義と同じく家柄の特権に対しても敵意を抱いていた。…

【七月王政】より

…1830年の七月革命で成立したフランスの王政。オルレアン朝のルイ・フィリップを国王とし,48年の二月革命で第二共和政が実現するまで続いた。社会的には,ようやく軌道にのり始めた資本主義的工業化と,伝統的生活様式や生活習慣との間の緊張が激化してきた時代である。…

【ドーミエ】より

…少年時代は生活のために働きながら絵や石版術を学んだ。ルイ・フィリップを洋梨になぞらえたフィリポンCharles Philipon(1804‐62)が主宰している風刺雑誌《カリカチュール》,《シャリバリ》を舞台に,シャルレNicolas Toussaint Charlet(1792‐1845),トラビエCharles‐Joseph Traviès(1804‐59),ドベリアAchille Deveria(1805‐59)らと共通する様式の石版風刺画家として声価を確立する。その契機となったのは洋梨風の国王を貪欲な巨人に見たてた《ガルガンチュア》(1830)で,このため6ヵ月の入獄と罰金が科された。…

※「ルイ・フィリップ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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